日本浪漫歌壇 秋 神無月 令和五年十月二十一日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 筆者の家の近くに市の郷土博物館がある。博物館内にはプラネタリウムもあるが、先月からプラネタリウムは改修工事のため閉館されている。再開されるのは来年七月の予定である。この時期に改修工事が行われたのは残念である。現在のようなドームに投影機で星の光を映す近代型プラネタリウムが世界で初めて公開されたのは一九二三年十月二一日である。ドイツのカールツァイス社が制作し、ドイツ博物館で関係者に公開された。そのプラネタリウム誕生からちょうど百年を迎えた時期にプラネタリウムが閉まっているのは何とも寂しい。街の歴史や文化の展示室とプラネタリウムが併設されているは、歴史と宇宙、どちらもロマンがあり、それを大切にしているからではないのか。日本はアメリカに次ぐ世界第二位のプラネタリウム設置数で、東京にも約二十箇所もある。別のプラネタリウムに行けばよいのだろうが、歩いて数分の「ご近所さん」には他にはない愛着がある。ここで観たかった。
 歌会は十月二一日午前一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の七氏と河内裕二。
 
  彼岸過ぎ扇風機などしまい時
     暑さ和らぎ秋風の吹く 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。作者は毎年彼岸に夏の物を片付けるのを習慣にしておられて、歌では夏を代表する物として扇風機が取り上げられる。扇風機だとありきたりな感じがしてしまいそうだが、結句に「秋風が吹く」とあることで、風がこの歌のキーワードになり「扇風機」が不可欠な語となる。季節の変化や作者の気持ちの変化などを目に見えない「風」を使って上手く表現している。
  来年は着ることなしかと迷いつも
     好きなブラウスハミングに浮く 和子
 
 清水和子さんの歌。「ハミング」とは花王が販売している柔軟剤の商品名である。一九六六年に発売され現在も柔軟剤と言えばおそらく一番に名前があがるロングセラー商品。作者は来年にはもう自分は亡くなっていてこの世にはいないのではないかと思われることが時々あるそうで、今年もよく着たお気に入りのブラウスを洗う時にそのような気持ちになられた。ホームにお住まいで、洗濯もご自身でやらなくてもすべてやっていただけるのだが、大切なものは自分で手洗いされるとのことである。内容的には重い歌であるが、「ハミング」という商品名でありながら音楽用語でもある明るい印象の言葉によって読者の気持ちも少しだけ和らぐ。
 
  愛孫あいそんの中三女子はお年頃
     切れてイライラやがてメソメソ 弘子
 
 嶋田弘子さんの作品。中三の受験生でもあって歌に詠まれた本人にしてみれば大変なのだろうが、ユーモラスな表現に思わず笑ってしまう。読者がこの歌で楽しく笑えるのは、作者がお孫さんを愛おしく思うのが強く伝わってくるからである。言葉のリズムも素晴らしい。さらに最後は「メソメソ」と泣いて終わるが、お孫さんを想像して、そのあとにはきっと笑い声の「ゲラゲラ」か「ケラケラ」が来るのだろうと思えて楽しい気持ちになる。
  ゴーヤーは実をみのらせて気付かずに
     黄色くなりて秋空にあり 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。実際に畑で育てているゴーヤーについて詠まれた。成っていた実の一つに気づかずに熟してしまい黄色くなったとのこと。その実をどうされたのかはうかがわなかったが、たしか黄色くなった実も緑色より苦みは少ないが食べられるのではなかったか。結句「秋空にあり」の「空」という語に高さを感じるが、作者のお話では、ゴーヤーのつるが延びて木に登っていき、高いところで実が成っていたので気づかなかったそうで、それを聞いて納得した。
 
  ヸオロンのひたぶるに恋ふ若き日は
     いずこに去りしと駅に降り立つ 成秋
 
 濱野成秋会長の歌。作者は秋になるとヴェルレーヌの「落葉」を思い出す。「ヸオロンのひたぶる」は上田敏訳の一節で、詩では「ヸオロンのためいきの」と続くが、どうしてもつい「ためいきの身にしみて」の部分を飛ばして「ひたぶるに」と続けてしまうので敢えてそのように詠ったとのことである。「恋ふ」なのでその方が味わいがある。文学青年だった作者はかつて電車に乗って大学に通っていた。それを毎年秋になると思い出し、その若き日はどこへ行ってしまったのかと、最近またその駅に降り立った時に思ったそうである。
  道の駅「おらほのめへ」とレシートに
     甘い煮豆のおこわを求む 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。旅の思い出の歌である。旅行で立ち寄った道の駅で買い物をしてもらったレシートに書かれていた「おらほのめへ」の文字。どういう意味なのか作者も歌会参加者も見当がつかない。調べてみると津軽弁で「私たちの店」という意味であった。地元の農家が生産した農産物を売る直売所の名前になっているのである。私のことを「おら」というので、「おらほの」が「私たちの」、「めへ」は「みせ」が訛ったものだろう。クイズと同じで答えを知ると納得できる。たしかに青森に行ったときのことですと作者の加藤さん。津軽の郷土料理に甘いお赤飯があるみたいなので、それを買われたのではないか。
 
  時たゝば街のなじみも消えゆけど
     移ろひぬるは世の常ならむ 裕二
 
 筆者の作。昔よく行った場所を十年ぐらいぶりに訪れると様子が変わっている。そんなことが最近続いた。大きなマンションが建っていたり、駐車場になっていたりして、前に何があったのかを思い出せない場所もあった。多い時には毎週のように行っていた食べ物屋も別の店に変わっていた。あの優しい大将はどこへ行ったのだろう。何でもいつかは変わるが、最近はコロナ禍によって変化のスピードが加速したのではないか。振り返って変わってよかったと思えることはどれくらいあるのだろうか。
  年を取りわからぬ言葉の増えゆけど
     答の詰まったスマホが手にある 員子
 
 作者は羽床員子さん。最近はわからないことはすぐにスマホで調べることができて便利だが、一度調べた内容を忘れてまた同じ事を調べることもある。それでもスマホで何とかなるのだからそれはそれでよしだろう。誰もが老いを経験する。それを悲観しない前向きな姿勢が伝わってくるのがこの歌のよさで、次々に新しい言葉が出てきても相手になるのは私ではなくスマホだからどうぞという作者の声が聞こえてきそうである。
 
 自分の知らない言葉や日常的に見ない言葉が歌の中に出てくると否が応でも気になって歌に引きつけられてしまう。今回の歌会では、加藤さんの「おらほのめへ」が強烈であった。見たことも聞いたこともない言葉で、地名のようには思えないし、前後の言葉から意味を予測することも不可能である。青森の方には申し訳ないが、「へのへのもへじ」のような文字遊びではないかとさえ思ってしまった。このような「正体不明」の言葉を使う手法は、いわば変化球で、読者は直球を待っているので思い切り空振りさせられる。しかしその球が見事であれば、空振りするのも気持ちがよいのである。
日本浪漫歌壇 秋 長月 令和五年九月十六日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 今年は関東大震災発生から百年目にあたる。地震が起こった九月一日は現在、防災の日に定められている。大震災と名付けられた大規模な地震災害には他に阪神淡路大震災、東日本大震災があるが、死者行方不明数がそれぞれ約六千五百人、約一万八千人に対して、関東大震災は約十万五千人とその人的被害は驚くべき規模である。さらに震災直後には流言やデマが広がり朝鮮出身者が各地で虐殺される事件も起こった。地方から来た行商団がその方言の理解できない村人に朝鮮人と疑われ殺される事件まで起きている。この事件を題材にした映画『福田村事件』が九月一日から上映されている。無政府主義者の大杉栄が憲兵により虐殺されたのもこの震災直後の混乱時である。あれから百年、ネットやSNSでフェイクニュースが拡散されている現在にあっては、関東大震災は遠い昔のことなどとはとても思えない。
 歌会は九月十六日午前十一時より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の加藤由良子、嘉山光枝、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の五氏と河内裕二。三浦短歌会の三宅尚道会長、嶋田弘子氏も詠草を寄せられた。
 
  女子アナの高校野球歓声の
     球もろともに青空に消ゆ 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。自動車を運転中にラジオから流れてきた高校野球の実況が女性アナウンサーによるもので、さらにとても上手な実況だったので驚いたとのこと。下句を読むとその爽やかな声が聞こえてきそうであるが、高く上がった打球に力のこもった実況。夏の甲子園での光景が鮮やかに浮かんでくる。今年はコロナによる制限もなくなり、スタンドでも熱のこもった応援が行われただろう。ラジオからその熱狂も伝わってきたに違いない。ちなみに女性の高校野球実況は珍しいが、初めてではない。数年前の第百回大会で女性アナウンサーが実況を担当することになりニュースになったのを筆者は覚えている。
  油蝉ミンミン蝉と法師蝉
     暑い日中ひなかの三部合唱 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。上句に三種の蝉が並ぶ。セミによって鳴き始める時期は違う。歌では早い順に並んでいるが、この並びは言葉のリズムで考えるとベストだろう。さらに言えば、アブラゼミより前にクマゼミやヒグラシがいるが、いずれも四音なのでそれらで始めてもアブラゼミで始めるようなよいリズムにはならない。セミについて知っていれば、読者は鳴き始める順番になっていることに気づく。順番を思いながら読み進めると、結句で驚きの「三部合唱」と来る。ここで今年の夏が異例だった記憶が甦る。信じられないほど早期から暑くなり、暑い日が長く続いた。セミも調子が狂ったのである。その異常さは、本来美しくなるはずの三部合唱が、セミが行えば、とても美しい調べを奏でるとは想像できない。恐ろしい不協和音になるのではないか。どの句を見ても言葉選びが秀逸である。
 
  友達のやさしいことばに囲まれて
     プレー見ている木陰のベンチ 和子
 
 清水和子さんの歌。お住まいのホームにある診察所に入院にされた際に部屋から公園が見えた。ある時こっそり部屋を抜け出してその公園に行ってみたとのことで、すると公園にいたホームのみなさんが清水さんの訪問を歓迎してくれた。外は暑かったので木陰のベンチに座らせてくれて優しい声を掛けてくれた。すぐに戻らなければならなくてそこに居たのは短い時間であったが、その時の嬉しさが忘れられずにこの歌に詠まれた。落ち着いた温かい雰囲気の歌で、病み上がりでの外出だったとうかがえば、なるほどさらに味わいが増す。プレーという言葉から何をプレーしているのかを想像するのも楽しい。著者はテニスだろうかと思ったが、それだとやや激しい印象が歌と合わない気がした。ご覧になったのはグランドゴルフとのことであった。
  高校の野球の試合は延長戦
     タイ・ブレークのバントで決まる 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。タイブレークとはランナーを一、二塁において試合を始めることで、九回で決着がつかなかった場合に延長戦で行われる。目的は早く決着をつけて試合時間をできるだけ短くすることである。選手の負担軽減のためである。延長戦で記憶に残っているのは、二〇〇六年の第八八回大会決勝戦で駒大苫小牧の田中将大と早稲田実業の斎藤佑樹が投げ合った試合である。延長十五回でも決着がつかず、翌日再試合となりさらに九回が行われた。見ているこちらが投手の肩や肘が心配になるほどであった。タイブレーク制度は甲子園では二〇十八年年から導入されたが、延長になっても十二回まではそのまま行い、それで決着がつかない場合に十三回からタイブレークにしていた。それが今年から延長に入る十回からに前倒しされる形となったようである。後のない延長戦でタイブレークが行われれば、先頭打者はまずバントで、普通に打つことはまずあり得ない。そのバントが決まれば勝てる可能性がかなり大きくなる。
 この歌は負ければ終わりの高校野球で、タイブレーク勝利の鍵がバントであると、延長即タイブレークに変更された試合の「本質」を冷静に述べている。九回まで死力を尽くして互角に戦ってきた選手たちが、延長戦では果敢に挑戦して打ち勝つよりも、とにかく慎重に手堅くバントでミスを避けて勝つ。作者はそれでよいのかと問いかけているようでもある。安心や安全を選んで挑戦をしない姿勢は延長戦の野球だけに限られないだろう。
 
  悲しみを昇華し闇にも光りあて
     魂揺さぶるみすゞの詩集 員子
 
 羽床員子さんの作。この歌は羽床さんによる金子みすゞのひとつの人物解釈であろう。二十六歳という若さで自殺したことを思えば、心の闇や深い悲しみを抱えていたと想像はできるが、実際どうであったのかはわからない。書かれた詩から読者それぞれがみすゞの人物像を作り上げてゆく。筆者は「大漁」や「私と小鳥と鈴と」のような有名な詩の印象から、彼女の詩に優しさや穏やかさを感じて共感を覚えるが、「魂揺さぶる」というどこか激しさを含む言葉が歌では使われていて興味深い。悲しみを静かに収めていく「消化」ではなく、精力的に詩にまで高めていく「昇華」であると強調しているようでもある。
  熱帯の蚊を貰ひしか極寒の
     汗だく寝返り兵士のまぼろし 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。実体験を歌にされた。最近は日本にもマラリア蚊がいるようで、その蚊に刺され、マラリアの症状である発熱を悪寒に見舞われ、苦しまれたとのことである。無事に回復されて本当によかったが、それがマラリアだろうと気づけたのは、戦時中にマラリアに罹った人の体験談を読んでいたからで、そこに書かれていた症状とまったく同じだったのである。
 歌では初句の「熱帯の蚊」ですぐにマラリアのことだとわかり「兵士」という言葉で戦時中南方にいた日本兵ことだろうと予想するも「まぼろし」で作者のことだ知らされ、驚かされる。兵士であれば亡くなっていた。戦争中の戦地の悲惨さと現在に生きる喜びが暗に表される。
 
  藤村の椰子の実ひとつ見つけたり
     父の残した荷物の中より 弘子
 
 嶋田弘子さんの作品。亡きお父様の荷物を整理していたら椰子の実が見つかり、島崎藤村の「椰子の実」が頭に浮かんだとのことで、故郷を離れて漂流する椰子の実の詩は、南方の兵隊の間でよく歌われていたと言われるので、お父様もきっと戦友と歌っていただろうと思われたそうである。お父様のブーゲンビル島再訪に同行した際に、島の至る所に椰子の木があるのを見たとおっしゃるので、お父様が持っていたのは島の椰子の実なのだろう。「藤村の」とひと言書くことで、藤村の詩を自らの歌に取り込む形にして、その世界観やメッセージを使って内容を「強化」して彩りを加える。そのひと言によって雄弁な歌にしている。
  武蔵野の台地に集ふ旅人は
     故郷おもひて夜空見上げる 裕二
 
 筆者の作。東京多摩地区から北は埼玉の川越あたりまで武蔵野台地と呼ばれる台地が広がっている。筆者は現在多摩地区の府中に暮らしており、市内に江戸幕府が整備した五街道の一つである甲州街道が通っている。府中は武蔵国の国府や総社があったので、むかしは多くの旅人が街を行き交っただろう。そんなことを想像しながら、現在の府中に暮らす私や私の友人などの地方出身者のことをむかしと重ね合わせるようにして歌を詠んだ。友人と話した時に彼の故郷は星がきれいだと聞いた。私も時々夜空を見上げる。むかしの旅人も現在の「旅人」である地方出身者も故郷を思う時には自然に空を見上げるのではないか。智恵子の「あどけない話」のように東京にはほんとの空が無いかもしれないが。
 
 今回の歌会で詠まれた歌のうち二つが作中に他の「作品名」を入れている。「みすゞの詩集」と「藤村の椰子の実」である。前者は具体的ではないものの、多くの人が金子みすゞの詩に共通認識のようなものを持っているので、作品名を入れたのと同様の効果がある程度まで得られる。
 文学作品が他の作品を取り込んだり関連付けたりすることをインターテクスチャリティ(間テクスト性)と言う。短歌でわかりやすい例は本歌取りであるが、そこまで徹底したものでなくても、今回の二つの作品はインターテクスチャーを行っている。三十一文字しかない短歌で多くのことを表現するためにはこのインターテクスチャリティは有効である。他の作品の「力」を借りることができる。しかし逆に三十一文字、しかも作品に言及すればさらに少ない文字数でオリジナリティを表現しなければならず、上手くやらなければ、取り込んだ作品の色に染まってしまう。今回の二作品はどちらも成功している。
どん底節  北見薫   2024.1.24
 
ずずずん ズンドコ どどどん ドンゾコ 
俺っちさっぱりドンドコドン
ついてないない今日もまた
チャンス逃して酒びたり
 
どん底だったら這い上がろ
いうけど底なしどん底じゃ
踏ん張る脚も
泥ん中
 
下から見上げた景色には
しょせん高嶺の華ばかり
強くなれよ励まされ
必死でがんばる泥ん中
 
不器用ぶきちょで世渡り大べたで
いつも不幸が似合ってた
もういい諦め自暴自棄
親も娘もいっちっち
 
 
不運と決めたは自分じゃないか
諦めたら あかんがな
人生どこでも どん底や
それが今日までつづいてた
 
どん底ならばゆるゆると!
どん底だから気楽やで
 
ここまで来たら後ねえわ
自分を信じて上り坂
泣き顔カラスが笑って飛ぶぞ
笑い飛ばしてどん底万歳
日本浪漫歌壇 夏 文月 令和五年七月二十二日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 日本の福岡で水泳の世界大会が行われている。水泳では競泳に注目が集まることが多いが、飛込や水球など他にも競技はある。数日前に日本人選手が金メダルを取った競技がアーティスティックスイミングだった。テレビのニュースでアナウンサーが発したその聞き慣れない競技名に新競技かと思えば、何のことはないシンクロナイズドスイミングであった。二〇一八年に名称がアーティスティックスイミングに変更されたようである。デュエットやチームの息の合った一糸乱れぬ演技を見ると「シンクロナイズド」という言葉がまさに競技の特徴をよく表していてわかり易いと思うのは素人だからだろうか。略して「シンクロ」というのも呼びやすくてよかったのだが、現在は英語の頭文字のASだそうである。名称変更が競技にプラスとなるとよいと思うが、果たしてどうだろうか。
 歌会は七月二二日午前十一時より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の六氏と河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏も詠草を寄せられた。
 
  今時は暑中見舞いもスマホなり
     私まだまだ手書きで便り 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。最近はご友人からの暑中見舞いも音楽や動画が入った「デジタル」版がスマホから送られて来るようになったそうである。それはそれで楽しいが、嘉山さんは今でも昔ながらの手書きのハガキを送られている。ご自身を「アナログ」な人間とおっしゃる嘉山さんは、実際に自分で書かれた方が相手に気持ちが伝わるのではないかと思って手書きをしているとのことで、用事や連絡はメールで済ませることが多くなった現在では、受け取った方もきっと特別感を得られて、うれしい気持ちになることだろう。
  「人工骨入れているに夫逝きぬ」
     友の言葉に相づち打つのみ 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。ご友人から退院して家に戻ったとの連絡があった。お家を訪ねてみると、今回は足の回復具合が思わしくなく再入院だったとのことで、人工骨を入れたなどその話は聞くに堪えないもので、とても気の毒であった。最後にご主人のことをうかがうと、大変な事実を知らされた。彼女が手術を受けるためにその期間はご主人には施設に入ってもらったとのことだったが、まさに手術を受けている最中に、ご主人が施設で亡くなったのである。それを聞いて加藤さんはかける言葉も見つからず、友人の言葉にただ相づちを打つことしかできなかったそうである。筆者は歌を一読した際に、ご主人が人工骨を入れる手術で亡くなったと勘違いしたが、そうでないとわかると、その事実の衝撃で作者と同様に言葉を失う思いがした。
 
  梅雨晴れの嬉しさかくせず夕空に
     二羽のとんびが追いつ追われつ 和子
 
 本日欠席の清水和子さんの歌。光景が目に浮かぶ。とんびは海岸に多く生息している印象があるが、なぜだろうか。餌の関係だろうか。翼を広げると驚くほど大きく、上空を風に乗って旋回している姿は、どこか優雅な感じさえする。そのようなとんびが二羽で楽しく遊んでいるような様子なのは、梅雨晴れだからだろう。雨が続き、しばらく存分に空を飛ぶことができなかったに違いない。青空でなく夕空とするところが素晴らしい。夕空の色味は温かみがあり、のどかな感じもして、自由に飛び回るとんびを見て、何だか心が癒やされる。
  炎昼の日差し照らせる停留所
     汗をぬぐひて待つ人の列 裕二
 
 筆者の歌。普通なら天気が良くなるとうれしいものだろうが、この歌のように毎日通勤で炎天下でバスを待つ生活をしていると、逆に曇りや小雨のような太陽の出ていない天気の方が喜ばしく思えてしまう。長雨や日照不足は農作物に影響が出て困るだろうが、晴天ばかりが続くのもまた考えものである。今年は暑さの厳しい夏になると予想されている。最近、緊急出動の救急車によく出くわすが、熱中症患者だろうか。暑さには十分気をつけたい。
 
  朝咲きて夕べに散りゆく沙羅双樹
     はかなかなし白き小花は 員子
 
 作者は羽床員子さん。あじさい寺に行った際に、青いあじさいがひしめく中にひっそりと咲く沙羅双樹の白い花を見つけられ、詠まれたとのこと。筆者は沙羅双樹と言えば、仏教の聖樹で、平家物語に花が出てくるとしか認識しておらず、日本の身近なところに花が咲いているとは思わなかった。夏に白い花を咲かすあのナツツバキが沙羅双樹とのことであった。
  葉月待つ麦酒旨しと友柄の
     一人没すと言の葉届く 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。暑い八月になったら冷えたビールをまた飲もうと友人と楽しみにしていたのに、その一人が亡くなったという葉書が届いた。やりきれない気持ちになるが、年をとると友人もだんだん亡くなってゆく。会長はかなり頻繁に故郷に戻られて、ご友人にも会われているそうである。「葉月」に「言の葉」が届くというさりげない表現の言葉のセンスが素晴らしい。葉が散る悲しいイメージすら内包している。考えてやろうとしても簡単にできる表現ではないだろう。
 
  初穫りはシシトウ十こナス三つ
     夏の福分け夕餉を飾る 弘子
 
 嶋田弘子さんの作品。書かれているとおりで、家庭菜園で育てた夏野菜の初取りを夕食で美味しくいただいたことを詠んだ歌である。「福分け」と言うと、どなたかからいただいたものを他の人にもお分けするイメージだが、「夏の」という言葉を付けることで、人ではなくさらに大きな「自然」からいただいたという自然の恵みに対する感謝だったり、作者の謙虚なお気持ちだったりが、たった三文字で表現されている。太陽、土、水、シシトウにナス。菜園の情景がカラーで浮かんでくるところも素晴らしい。
  真夏日の昼はソーメン菜園の
     茄子と青紫蘇加えて食べる 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。手の込んだ料理もよいが、暑い夏にはこのようなさっぱりした昼食が一番である。自分で作った野菜なら旬で取れたて、安全性も間違いない。思わず歌にも詠みたくなるだろう。
 
 「そうめん」や「ひやむぎ」といえば夏が来たという感じになる。どちらもいわゆる「夏の風物詩」である。夏の風物詩といって思い浮かべるものは、そうめんや花火のような大定番のものもあるが、実は人によって少しずつ異なるのではないだろうか。筆者は海水浴や高校野球などをすぐ思い浮かべてしまうが、生まれ育った環境に蛍は全くおらず、動物園のような場所でしか見たことがなかったので、「夏の風物詩」で蛍狩りを思い浮かべることはなく、夏の生き物といえばカブトムシやクワガタである。これらも街の外れの雑木林や里山に行かなければ、見つからなかったが、子供の頃には夢中になって探した。現在では、私の故郷もそのような場所もなくなっている。誰もが共感できるような夏の歌を詠むことも、特に自然を題材にすると、だんだん難しくなるのではないだろうか。

天使と悪魔  高鳥奈緒   2024.1.21
 
天使が私にささやく
正しく生きよ
人に真心を尽くせと
 
つまずいて悪魔が現れた
だから信じるなといっただろう
ほら、お前だけ傷ついたと
 
天使は黙って微笑んでいた
先へ歩けばきっとわかるというように
 
私は天使と悪魔をにらめっこさせた
選ぶのは私らしい
天使の微笑みに慈しむのか
悪魔の優しい声に誘われるのか
 
立ち止まって冷静に我に返って
笑顔でいたい!と叫んだら
はっと目が覚めた
明るい窓の光が眩しすぎる日曜日の朝
額には汗をかいている
だけど光に包まれて安堵の心がよみがえった