心は天気  高鳥奈緒
 
心は直ぐに変わるお天気のように
晴れてご機嫌
雨降り泣いて
曇り不機嫌
 
私の心は忙しいお天気のように
心の鏡が曇ると
世の中まで曇る
心の鏡磨いて正しい目持ちたい
 
この世にいる時間
歩いている時間
時計のカチカチは生命のカウントダウン
今日は一体何出来るのだろうか
 
決めつけないで心の目で見よう
あの苦しみもあの悲しみも
いつか心の糧となる     
もっと温かな優しさに包まれて
現代浪漫詩人 その1.高鳥奈緒
 
心は孤独な旅人  高鳥奈緒
 
    僕は書かねばならない。濱野成秋
 
 僕の心の文学を拓いてくれた女流作家や詩人はいっぱいいる。学生時代には津村節子や郷静子がいる。
 津村節子は社会派。郷静子は鶴見女学校を卒業後、戦乱の巷を生き抜いて文学学校にかよい、「れくいえむ」で文壇に登場した。津村同様、芥川賞をとったが、そんなきらびやかさは微塵もない人だった。鶴見女学校から日本文学学校へ。郷静子にあったのは戦後の新日本文学を率いていた野間宏、中野重治、佐田稲子に針生一郎や黒井千次の頃で、新日文は共産党と抗争を繰り返すさ中だったか。郷の心には日本中に黒雲垂れ込める暗い日々であったはず。
 そして今、同じ鶴見女学校出身の高鳥奈緒を紹介することになって感無量である。
 高鳥奈緒には、孤独で、状況に翻弄され、行方定めぬ旅人の黒雲がある。この点では郷静子に等しくするか。だのにその内奥には沸々と滾る思いが噴き上げる。
 父や母との確執、それが自己の内部をかき乱し、夫との齟齬へ、確執へ。思い詰める日々は壮絶。さながらギリシア悲劇のエレクトラである。
 西洋では孤城に幽閉されたファムファタル的存在か。現代ジャパンでは、郷静子が静かに没して十年。高鳥奈緒が彼女なりのレクイエムを背負って、鶴見文学の旗手となり、金子みすゞの世界にも通底する筆致で詩を書き散らす。
 みすゞのようでありながら、みすゞにあらず。
 奈緒は叫ぶ。ハウル。ギンズバーグのごとく迸る言葉の洪水が噴出する…。
 怒ッタコトモ 高鳥奈緒
 
  怒ったことも
  笑ったことも
  癒やされたことも
  疲れたことも
  ときめいたことも
  人を愛したことも
  人を憎んだことも
  傷ついたことも
  傷つけたことも
  すべてがあって。
 
 恋の魔法
 
  時よ、止まれ
  魔法使いになりたい
  この瞬間
 
 人が好きだよ
 
  人に傷つけられたのに
  また人を好きになっている
  それは私、高鳥奈緒
  あの人を想えば
  魔法使いになりたい
  恋の魔法を
  いっぱい賭けてやる
 瞳
 
  あなたの瞳が
  私を離さない
  私の瞳が
  あなたを離さない
  キバを剥けば
  キバを剥く
  笑みを向ければ
  笑みがかえる
 
 無い物
 
  無い物かぞえたら
  足りない
  有る物かぞえたら
  いっぱい
 素直に生きたい
 
  素直に生きたい
  心 つくしたい
  優しく 強くありたい
  正直に 生きたい
  楽しみを見出したい
  おおきく 広い心をもちたい
  ゆっくりと
  雪が春に溶けるように
  あなたの心に寄り添う気持ちで
  それが私の気持ちなの
 
 心の文学を拓いてくれた女流作家や詩人には、西洋ならエミリー・ディッキンソンがいる。理屈っぽくて高邁すぎて。だから日本では多識を競うタイプにも愛されている。その目で郷静子さんを診れば沈んで見えようし、高鳥奈緒をみれば、多情多恨。自分とは異なる情熱があふれこぼれて、名門鶴見女学校の金字塔かと思える。府立第一高女の鳳晶子にも通じるか。梅花の増田雅子か。小浜の山川登美子も想わせて今に生きる。金子みすゞの再来とも声が高いが、吾等の学会が抱える作家詩人の中では最も謎の多い人物でもある。成秋筆。
日本浪漫学会主催 第二十五回「浪漫うたの旅」
 
  出雲うた紀行
             日本浪漫学会 岩間滿美子
 
 昔から旅は大きなものを授けてくれると言われていまように、この旅もその通りになり大きな土産を背負って帰って来ることが出来ました。
 ほとんどご縁の無い尼子氏の歴史、足立美術館の思いも掛けない秘密、尼子氏を熱く語る郷土の方々との出会い、R.ハーンの足跡とご子孫の方や関係者の方々との出会い、月山富田城登頂の感激、尼子氏後の松江の城に纏わる歴史、安来の雲樹寺との出会い、松江市役所の危機管理課の方々と面談、旅の宿『竹葉』との出会い等々心に残るものは挙げきれません。
 そして、今回の旅にこうした運びになって行くようにと手配をしていただいた濱野、河内両先生には心より感謝申し上げます。
 また、三日目からご一緒された福田先生には、自らのお車で交通事情のままならない地を回ってくださったことにこの上なく有難いことと感謝いたしております。そして率直かつ明快なご発言に感じ入りましたし、初対面の私の気持ちを汲み取っていたことにも稀有なことと重ねて御礼申し上げます。
 こうした思いの中で、八首詠みました。
  出雲路に散りしもののふ幾多在り
     今も山桜咲て弔う
 
  春の暮れ遠く近くに山桜
     咲き出れどもなおさびしくて
 
  今出雲咲きい出したる桜には
     先争わぬ麗しさ覚ゆ
 
  はるばると月山富田城に登り来て
     もののふの跡なぞりて忍ぶ
 
  連れ立ちて旅行くほどに分け合うは
     真心なりしか思いのたけか
 
  吾こそと騒ぎ立てたる心こそ
     出雲の桜は癒し宥めむ
 
  出雲なる国なかに允つ優しさに
     競い疲るる心癒せと
 
  道化ぶりどぜう掬いに見えたるも
     道化に非ずその技を見せ
日本浪漫歌壇 春 弥生 令和五年三月十八日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 東京の桜の開花発表は平年より十日ほど早い三月十四日であった。最高気温が二十度を超える日が数日続いたのが、早い開花に影響したのだろう。暖かい日が続き、すっかり春になった気分だったが、歌会当日には雨が降り、風は冷たかった。桜の花が長く楽しめると思えば、少々寒いのも我慢できる。入学式にまだ桜の花は見られるのだろうか。
 歌会は三月十八日午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の七氏と河内裕二。
 
  包丁を毎日曜日研ぎくれし
     夫の心情十年後ととせご気づく 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。亡くなったご主人は、毎週日曜日の朝食後に何も言わずに包丁を研ぎ、終わるとご自分の部屋に戻って行かれた。その行動をずっと気にも留めなかったが、亡くなってから十年が過ぎて、ご夫婦での生活を振り返った時に、それはきっと旦那様の愛情だったのだと思われて歌に詠まれたそうである。
 
  ぬか床のきゅうりが苦い?宝物
     無くしてなるものかと手を入れる 弘子
 嶋田弘子さんの歌。お母様から受け継いだぬか床を現在も大切に使われている。嶋田さんにとってそれは宝物で、漬けた漬物をいつもご家族で美味しくいただいていたが、ある時きゅうりの味が苦くなった。このままではぬか床はダメになってしまう。「無くしてなるものか」という気持ちでできることはすべてやり必死に元のような状態にまで回復させた。かれこれ一か月もかかったとのこと。
 
  眼から鼻花粉は来たりくさめする
     年中行事の如く始まる 尚道
 
 作者は三宅尚道会さん。花粉症の方は共感できる歌である。まさに「年中行事」で、毎年同じ時期に苦しむことになる。三宅さんも花粉症になってもう二十年だそうで、それまで平気だった人もある日突然花粉症になると言われると、筆者のように花粉症でない者は不安な気持ちになる。花粉症の歌が詠めるとしても、この「年中行事」に参加するのは遠慮したい。
 
  在りし日の姿思ひて読むメール
     用件のみも言葉優しく 裕二
 
 筆者の歌。日々の仕事においては手紙ではなくメールでやり取りをすることがほとんどになった。過去のメールを確認することが必要になりキーワードで検索すると、探しているメール以外にも予期せぬメールが検索にかかることがある。先日も偶然に亡くなった方から生前にいただいたメールが出てきた。亡くなられてもう七年ほどになる。その方のことを思い出しながらメールの文面を読んでみると、用件のみを伝えるものであったが、言葉使いなどは生前にいつも優しくしてくださったその方のお人柄がにじみ出ていた。
  大阪は見所多しと息子より
     行く先々の写メール届く 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。大阪に転勤なった息子さんから送られてくる関西の様々な場所の写真を見ると、旅行気分になるそうである。楽しい気持ちを母親と共有したいと思う息子さんとその写真を楽しみにしている嘉山さん。心温まる歌である。
 
  思ふまま生きられぬとも年嵩ね
     なほ迫り来る波迎えなむ 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。ある程度の年齢になれば、この歌に共感する人は多いのではないだろうか。「迫り来る波」をよけるのか、それとも迎えるのか。これまでの人生の経験を活かして「波を迎えて」よりよい人生を送りたいというお気持ちで詠まれたのだろう。筆者もそうしたいものである。
 
  いにし世を知らぬ存ぜぬ子らたちに
     すさむ思ひを語るも空し 成秋
  
 濱野成秋会長の作。「慌む思ひ」とは戦時中や終戦直後の大変な時期のことで、子供たちに話そうとしても、そんなことは関係ないという態度を取られてしまう。作者にとって非常に重要な現実も彼らにとってはただの歴史に過ぎない。歴史は繰り返すと言うが、再び戦争が起こらないようにするには、戦争とはどういうものなのか知る必要がある。しかし聞く耳を持たないのではどうしようもない。空しいお気持ちを歌に詠まれた。
  手の切れしヴィトンのバッグが買い取られ
     八千円にてらとランチす 員子
 
 作者は羽床員子さん。「手の切れし」というのは、縁が切れたのではなく持ち手が切れたという意味。そのような状態のバッグでも八千円で買い取られるとは驚きである。修理して中古品で売るのだろうが、持ち手が切れるほど使い込まれたものでも欲しい人はいるのだろうか。
  
  トンネルを越えれば雪国白銀に
     今一度会いたし待つ人なけれど 和子
 
 作者は清水和子さん。川端康成の「雪国」を思わせる上句に、下句は百人一首にある「小倉山」で始まる藤原忠平の歌の下句「いまひとたびのみゆきまたなむ」を思わせる。どこか聞き覚えのある歌になっているが、光景が目に浮かんできて、映画の一シーンを見ているようである。待つ人はいないけど会いたいという気持ちも理解できるし、三月とはいえ北国の山間部ではまだ雪が残っている場所もあるだろうから、現実の光景と言ってもおかしくない作品だろう。
 
 春夏秋冬、日本の四季は素晴らしい。季語を入れなくてはいけない俳句とちがい短歌は季節感を全面的に表す必要はないが、それでも季節感は歌に彩りを添える重要な要素である。今回は三宅さんと清水さんの作品が季節の歌であった。自然を描写すれば自ずと季節が現れる。次回は四月。春を迎え、桜を詠む歌は何首よせられるのであろうか。
日本浪漫歌壇 冬 如月 令和五年二月二五日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 二月は異称で「きさらぎ」というが、漢字表記で「如月」を「きさらぎ」と読むのには無理がある。実は、漢字は中国の二月の異称「如月(じょげつ)」が由来で、日本語とは由来が異なっている。では日本語の「きさらぎ」の由来は何か。いくつかの説がある。『日本国語大辞典』では、寒さのために衣を重ねるところから(衣更着)、陽気が発達する時節であるから(気更来)、正月に来た春が更に春めくところから(来更来)など多くの説が示されている。『広辞苑』では、「生更ぎ」の意。草木の更生することをいう。着物をさらに重ね着る意とするのは誤り、としている。複数の辞典を見てみると、「衣更着」の説が有力とされているようである。
 歌会は二月二五日午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の七氏と河内裕二。三浦短歌会の加藤由良子氏も詠草を寄せられた。
 
  久しぶり肩をたたかれ誰だっけ
     マスクはずして友は笑いし 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。コロナ禍で誰もがマスクを着用する中で同様の経験をした人もいるのではないか。頻繁に会う人であれば目だけでもわかる。ところがしばらく会っていないと、歌のように誰なのかわからなかったり、自分が思っている人と違うのではないかと不安になったりする。声が重要な手がかりとなるが、マスク越しではクリアに聞こえなかったりするので厄介である。友の笑顔も含めどこか楽しそうな光景が目に浮かぶ歌である。
 
  福はうち海南様へと御神酒 升
     用意し夫の帰り待ちおり 由良子
 本日欠席の加藤由良子さんの歌。「福はうち」とあるので節分だろう。「海南様」とは三崎にある海南神社のことで、九八二年に創建された歴史ある神社である。食の神も祀られていて、境内には包丁塚や包丁奉納殿もある。三崎で料亭をされていた加藤さんには特別な場所なのかもしれない。お供えした御神酒を家に持ち帰って升でいただくのが風習だそうで、亡くなった旦那様と過ごした節分を思い出されて詠まれたのだろう。
 
  黄泉の日はけふかあすかで春となり
     娘の慶事でしばし沙汰止み 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。会長は病弱だったので、小さい頃は、明日にでも亡くなるのではないかとご両親に心配された。現在も今日亡くなるのか、それとも明日なのかといつもご自身で考えてしまい、気持ちが落ち込んでしまうそうだが、最近娘さんにおめでたいことがあり、さすがにこんな時には神様も命を取ったりはしないはずと思われた。何があったのかうかがうと、大学院に合格されたとのことで、学者である会長にとって娘さんが学問の道に進まれたことは特別な喜びであろう。
 
  青天に昨日も明日も手離して
     力を抜いて今を味わう 弘子
 
 嶋田弘子さんの歌。人生を達観されているような内容で、あれもこれもと様々なことが気になってしまう者を諭すような歌である。過去や未来に囚われれば、後悔や不安に苛まれる。作者の嶋田さんは、軟酥の法と呼ばれる瞑想法を実践されていて、それによって自分の中にあるものを出していくような、すべてのものを手放していくような感覚を体験される。「力を抜いて」とあるが、脱力によりとても楽な気持ちになり、今ここに生きていることだけを感じることができるそうである。晴れ渡った空という初句の言葉の選択も秀逸である。
  何気ないバッグに明るいスカーフを
     結わえて明日はどこへ行こうか 員子
 
 作者は羽床員子さん。前向きなお気持ちが伝わってくる歌である。歌のスカーフのように、読むと気分が明るくなる。本日も歌会の気分に合わせてスカーフを選ばれた。「明」の字が繰り返されることで、視覚的にも歌全体が明るいイメージに包まれる。
 
  きさらぎの草木に見ゆる我が夢の
     その根の内に春を待つらむ 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。「きさらぎの草木」とは冬枯れした草木のことだろう。枯れてしまっているように見えるが、実際には根は生きていて新しい芽や葉を出そうと春を待っている。ご自身のお気持ちを植物になぞらえて、とにかく生きることに執着する姿勢を宣言された歌だと解釈した。すべては生きていればこそ。よいことも悪いこともすべて受け止めて生き続ける。過去に大きな病気をされた岩間さんの現在の死生観を表された歌であろう。
 
  学生の作る映画の切なさに
     心ともなく涙こぼれつ 裕二
  
 筆者の作。勤め先で学生が制作した卒業作品の発表会が行われた。その中に女子学生の友情を描いた映像作品があった。まだまだ荒削りで、話の内容もよくあるメロドラマと言えるものであったが、それでも若者らしい真っ直ぐでひたむきな思いが伝わってくる作品で心を打たれた。友情であれ、愛であれ、人間関係こそが感動を生む。当たり前過ぎて忘れがちなことを改めて教えられた気がした。
  車椅子に引かれる妻のあと追いし
     夫の杖の音廊下に響く 和子
 
 作者は清水和子さん。実際にお住まいのホームでご覧になった光景を詠まれた。このようなお二人の姿を見て思うことは人それぞれだろうが、いずれにしても悲哀が漂う。夫婦でご健在とはいえ、「夫の杖の音」は、もの悲しく廊下に響いているようにしか想像できない。歳をとれば衰えていく。その事実を無視することは誰にもできない。老いは誰にとっても最重要な問題である。この歌を読んで、例えば事故に遭った若い夫婦の歌だと思う人はいないだろう。
  
  午後六時家猫ソラは目を合わす
     「何か忘れてないか」と迫る 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。飼い猫が餌を欲しがっている。ただそれだけの内容が見事に歌になる。三宅さんの表現力には脱帽である。
  
 歌会ではまず作者の名前を伏せて歌が披露されるが、その作者の歌を過去に何首も読んでいると、どなたの作品なのか想像できることが多い。ところが時にその想像は裏切られて驚かされることもある。このような歌も詠まれるのか。それぞれの歌人の新たな一面や豊かな表現力を知ることができるのも歌会の楽しみである。今回もそのような歌が何首かあった。楽しく勉強になる会になった。