日本浪漫歌壇 冬 如月 令和五年二月二五日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 二月は異称で「きさらぎ」というが、漢字表記で「如月」を「きさらぎ」と読むのには無理がある。実は、漢字は中国の二月の異称「如月(じょげつ)」が由来で、日本語とは由来が異なっている。では日本語の「きさらぎ」の由来は何か。いくつかの説がある。『日本国語大辞典』では、寒さのために衣を重ねるところから(衣更着)、陽気が発達する時節であるから(気更来)、正月に来た春が更に春めくところから(来更来)など多くの説が示されている。『広辞苑』では、「生更ぎ」の意。草木の更生することをいう。着物をさらに重ね着る意とするのは誤り、としている。複数の辞典を見てみると、「衣更着」の説が有力とされているようである。
 歌会は二月二五日午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の七氏と河内裕二。三浦短歌会の加藤由良子氏も詠草を寄せられた。
 
  久しぶり肩をたたかれ誰だっけ
     マスクはずして友は笑いし 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。コロナ禍で誰もがマスクを着用する中で同様の経験をした人もいるのではないか。頻繁に会う人であれば目だけでもわかる。ところがしばらく会っていないと、歌のように誰なのかわからなかったり、自分が思っている人と違うのではないかと不安になったりする。声が重要な手がかりとなるが、マスク越しではクリアに聞こえなかったりするので厄介である。友の笑顔も含めどこか楽しそうな光景が目に浮かぶ歌である。
 
  福はうち海南様へと御神酒 升
     用意し夫の帰り待ちおり 由良子
 本日欠席の加藤由良子さんの歌。「福はうち」とあるので節分だろう。「海南様」とは三崎にある海南神社のことで、九八二年に創建された歴史ある神社である。食の神も祀られていて、境内には包丁塚や包丁奉納殿もある。三崎で料亭をされていた加藤さんには特別な場所なのかもしれない。お供えした御神酒を家に持ち帰って升でいただくのが風習だそうで、亡くなった旦那様と過ごした節分を思い出されて詠まれたのだろう。
 
  黄泉の日はけふかあすかで春となり
     娘の慶事でしばし沙汰止み 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。会長は病弱だったので、小さい頃は、明日にでも亡くなるのではないかとご両親に心配された。現在も今日亡くなるのか、それとも明日なのかといつもご自身で考えてしまい、気持ちが落ち込んでしまうそうだが、最近娘さんにおめでたいことがあり、さすがにこんな時には神様も命を取ったりはしないはずと思われた。何があったのかうかがうと、大学院に合格されたとのことで、学者である会長にとって娘さんが学問の道に進まれたことは特別な喜びであろう。
 
  青天に昨日も明日も手離して
     力を抜いて今を味わう 弘子
 
 嶋田弘子さんの歌。人生を達観されているような内容で、あれもこれもと様々なことが気になってしまう者を諭すような歌である。過去や未来に囚われれば、後悔や不安に苛まれる。作者の嶋田さんは、軟酥の法と呼ばれる瞑想法を実践されていて、それによって自分の中にあるものを出していくような、すべてのものを手放していくような感覚を体験される。「力を抜いて」とあるが、脱力によりとても楽な気持ちになり、今ここに生きていることだけを感じることができるそうである。晴れ渡った空という初句の言葉の選択も秀逸である。
  何気ないバッグに明るいスカーフを
     結わえて明日はどこへ行こうか 員子
 
 作者は羽床員子さん。前向きなお気持ちが伝わってくる歌である。歌のスカーフのように、読むと気分が明るくなる。本日も歌会の気分に合わせてスカーフを選ばれた。「明」の字が繰り返されることで、視覚的にも歌全体が明るいイメージに包まれる。
 
  きさらぎの草木に見ゆる我が夢の
     その根の内に春を待つらむ 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。「きさらぎの草木」とは冬枯れした草木のことだろう。枯れてしまっているように見えるが、実際には根は生きていて新しい芽や葉を出そうと春を待っている。ご自身のお気持ちを植物になぞらえて、とにかく生きることに執着する姿勢を宣言された歌だと解釈した。すべては生きていればこそ。よいことも悪いこともすべて受け止めて生き続ける。過去に大きな病気をされた岩間さんの現在の死生観を表された歌であろう。
 
  学生の作る映画の切なさに
     心ともなく涙こぼれつ 裕二
  
 筆者の作。勤め先で学生が制作した卒業作品の発表会が行われた。その中に女子学生の友情を描いた映像作品があった。まだまだ荒削りで、話の内容もよくあるメロドラマと言えるものであったが、それでも若者らしい真っ直ぐでひたむきな思いが伝わってくる作品で心を打たれた。友情であれ、愛であれ、人間関係こそが感動を生む。当たり前過ぎて忘れがちなことを改めて教えられた気がした。
  車椅子に引かれる妻のあと追いし
     夫の杖の音廊下に響く 和子
 
 作者は清水和子さん。実際にお住まいのホームでご覧になった光景を詠まれた。このようなお二人の姿を見て思うことは人それぞれだろうが、いずれにしても悲哀が漂う。夫婦でご健在とはいえ、「夫の杖の音」は、もの悲しく廊下に響いているようにしか想像できない。歳をとれば衰えていく。その事実を無視することは誰にもできない。老いは誰にとっても最重要な問題である。この歌を読んで、例えば事故に遭った若い夫婦の歌だと思う人はいないだろう。
  
  午後六時家猫ソラは目を合わす
     「何か忘れてないか」と迫る 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。飼い猫が餌を欲しがっている。ただそれだけの内容が見事に歌になる。三宅さんの表現力には脱帽である。
  
 歌会ではまず作者の名前を伏せて歌が披露されるが、その作者の歌を過去に何首も読んでいると、どなたの作品なのか想像できることが多い。ところが時にその想像は裏切られて驚かされることもある。このような歌も詠まれるのか。それぞれの歌人の新たな一面や豊かな表現力を知ることができるのも歌会の楽しみである。今回もそのような歌が何首かあった。楽しく勉強になる会になった。
日本浪漫歌壇 冬 睦月 令和五年一月二八日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 数日前から日本列島はこの冬一番の寒気に包まれ、西日本や日本海側では雪が降り続いて交通にも影響が出ている。歌会の行われる三浦市は晴れて穏やかな天気で会場の目の前の諸磯港から見える相模湾の海の色は美しいコバルトブルーだった。少し先の消波ブロックには釣り人の姿もある。雲に隠れて富士山が見えなかったのが残念だった。
 歌会は一月二八日午後一時半より民宿でぐち荘で開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の六氏と河内裕二。三浦短歌会の加藤由良子、清水和子、加藤さんのご友人の田所晴美の三氏も詠草を寄せられた。
 
  押し詰まる都心のホテルの二十階
     昼の月見つ無心で泳ぐ 由良子
 
 作者は本日欠席の加藤由良子さん。昼間にホテルのプールで泳いでいるとガラス窓から月が見えた。その体験を詠まれた。情景描写が巧みで読者は自分もその場に居るような感覚になる。三十一文字の短い歌の中に多くの情報が盛り込まれ、その順番も効果的になるように工夫されている。ホテルの高層階にプールを思い浮かべる人はまずいない。最後にプールであることがわかった時の意外性やインパクトは大きく、さらにもう一味加わる。
 
  四十年わたしのそばにはコーヒーの木
     夜半に目覚めて共に息する 和子
 本日欠席の清水和子さんの歌。現在お住まいのホームに東京から引っ越してくる際にコーヒーの木を持ってこられた。暖かい地方の植物なのでお部屋の中で育てておられて、一人暮らしの清水さんにとっては一緒に暮らす家族のような存在なのだろう。ペットの動物では四十年の年月を共にすることはできない。長く生きられる植物ならではのことで、コーヒーの木というのもおしゃれな清水さんらしい。
 
  年始め奏でるリズムは軽やかに
     軒の干し柿かぜに踊りて 裕二
 
 筆者の歌。今年も正月には故郷に帰省した。実家には干し柿が吊り下げられていて、聞くと父親が作ったとのこと。正月はやはりおめでたい気分になる。今年が良い年になるように願いながら、元旦ぐらいは家族と楽しく過ごしたいという気持ちで詠んだ歌である。内容と同様に歌自体も軽やかな感じにした。
 
  二年ぶり娘と共に映画見る
     ひと時なれど気分転換 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。娘さんと一緒に映画を観に行くのが好きでよく映画館に出かけていたが、コロナ禍になって足が遠のいていたそうである。先日二年ぶりに映画を観に行かれ、その時の気持ちを詠まれた。上映されていたのは『すずめの戸締まり』というアニメ映画で、ご覧になって涙されたとのこと。歌の中で映画について言及するのも一つのアイデアだが、娘さんと出かけて気分がリフレッシュされたことを第一に伝えたいため、その点をストレートに表現されている。結句の「気分転換」があまりにストレート過ぎて何か別の言葉の方がよいのではないかと悩まれたそうだが、これはこれで潔ささえ感じてよいだろう。確かにありふれた言葉ではあるが、コロナ禍でありふれたことができなかった状況に対して、ありふれたことができるようになったのをありふれた言葉の使用で表現すると解釈すれば納得できるだろう。
  新春にひはるを寿ぐ賀状を断りて
     友よ咲く花いかに愛しも 成秋
 
 濱野成秋会長の歌。最近は年賀状に今回で最後にしたいと書いてくるものが届くようになった。「もう出しませんから」というのはすなわち「あなたも私に出してくださるな」というメッセージである。賀状を出す、出さないをどうしてそちらに決められなければならないのか。年賀状は単なるはがきの交換ではない。心の交流である。長く続けてきた人であればなおさらで、それを突然一方的に破棄するとはどういうことなのか。
 春に花が咲いてきれいだと思う気持ちがあるのならば、新春を寿ぎたい気持ちはわかるだろうという下句は言い得て妙で、たがか年賀状ではなく、それすら拒むのであれば本当に友人と言えるのか。出す側にも理由はあるのかもしれないが、受け取る自分の気持ちを考えてもらえなかったことが悲しい。大事なのは心なのである。
 
  遊女らの身投げせしとう八景原の
     彼方に風車が静かに回る 員子
 
 作者は羽床員子さん。八景原は三浦半島の先端にある断崖絶壁の場所で下は波の荒い磯になっている。三崎の遊女や自殺志願者が身を投げた場所として地元では有名である。現在は草などが生い茂って入れないようだが、そこを訪れたことのある嘉山さんによると落ちたら間違いなく助からない高さとのこと。この八景原の少し先に風力発電用の大きな風車が二基立っている。悲しい歴史と現在注目の再生可能エネルギーの象徴である風車が「八景原」という言葉で取り合わされる。死者と風車の取り合わせは、青森の恐山菩提寺を思い浮かばせる。日本三大霊山の一つ恐山にある菩提寺の境内には死者の供養のために風車(かざぐるま)が置かれていて風で回っている。
 
  初春に良しと思ひしことあれど
     尚求めては思ひ煩ふ 滿美子
 作者は岩間滿美子さん。ご自身のお気持ちを詠まれた。人の煩悩には限りがない。誰もが納得であるが、筆者はこの歌をあまりネガティブな内容とは捉えなかった。たとえば欲望にしても、それなくしては向上心も生まれないだろう。この歌が詠めることは、作者は自己を客観的に見ることができ、自制ができるのを示している。内容、言葉使い、どれを取っても歌として完成されている。
  
  寒中といえどいくらか暖かし
     取り残したる里芋を掘る 尚道
 
 三宅尚道さんの歌。写生句である。三宅さんの畑は土があまり良くないために野菜の育ちが悪く、イモでもジャガイモならまだ育つが、里芋は育ちが悪い。里芋は収穫時期を過ぎても収穫せずに放置しておいたそうで、それを最近気温が少し暖かくなったので掘ってみたとのこと。
 この歌に出てくる野菜は里芋である。お正月の煮物に里芋は欠かせない。実際に掘ったのがそうであったにしても、一月の歌会の歌に里芋以上にふさわしいものはないことを作者はわかっている。それをさりげなくやるところがさすがである。
  
  二人から始めたかけっこ五十年
     今十五人よーいどんそれ! 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。一見ジョギングの愛好家仲間の話かと思うが、五十年とは長すぎてどういう状況なのか想像するのが難しい。実はご家族のことを詠まれている。お正月に体育館を借り切ってご家族で運動をされた。その時にみんなでリレーをし、その人数をかぞえると十五人であった。この十五人のご家族は、最初は嶋田さんご夫婦の二人から始まった。来年でご結婚して五十年を迎えるそうで、説明をうかがって納得した。
 「かけっこ」「よーいどんそれ!」のような言葉使いが、小さなお孫さんまで含めてみんなで元気よく走っている様子を生き生きと伝える。幸せがあふれる歌である。
  鯵を焼く昨日も今日も鯵を焼く
     友の笑顔に一味そえて 晴美
 
 田所晴美さんの作。作者の田所さんは加藤由良子さんのご友人で、歌にある「友」とは加藤さんのこと。加藤さんから送られてきた三崎の鯵の干物を田所さんが毎日召し上がっている歌だが、上句はややコミカル、下句でお二人の素晴らしい友情が示され、心温まる歌となる。軽快な言葉のリズムもお二人の関係を表していて、これまでも、これからもこのよい関係が続くこと暗示している。
 
 歌会を終え、別室に移動。楽しみにしていた新年会が始まる。地元の食材を活かしてすべて手作りされる料理には毎回感動する。メニューは昨年とほぼ同じであるが、それがまたよい。一年経つとさすがに味の記憶は少し薄れていて、食べる毎に「そうこの味」と記憶が甦ってくる。これも楽しみの一つである。美味しい食事と楽しい会話で充実した時を過ごし、お腹も心も満たされて宴を終えた。
 でくち荘を後にして、羽床さんのお店「羽床総本店」の加工場と店舗を訪れて、説明をうかがいながら見学させていただく。こだわりの材料を使って手仕事で丁寧に魚の味噌漬けと粕漬けを作られている。大正十二年の創業で百年続く老舗である。
 何かを受け継いでいくことは大変である。思えば私たちを結びつけてくれた短歌は、『万葉集』が七世紀から八世紀の編なので約千三百年も続いていることになる。
日本浪漫歌壇 秋 霜月 令和四年十一月十九日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 ロシアによるウクライナ侵攻で始まった戦争は、およそ九か月が経った現在も終わる気配がない。数日前にはついに隣国ポーランドの村にミサイルが着弾して死者が出た。NATO加盟国への攻撃と見なされれば、集団的自衛権が発動され大変な事態となり得るが、結局、ウクライナ軍がロシアのミサイルを迎撃したものと判断されて事なきを得た。このような緊張状態がいつまで続くのだろうか。一日も早く終結してほしい。
 歌会は十一月十九日午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の八氏と河内裕二。
 
  ではなく孫よりたまに電話くる
     用はないけど「安否確認」 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。この歌に詠まれたように、地震や雷などがあると娘さんではなくお孫さんが心配して電話を掛けてくるとのことで、祖母を気にかけているお孫さんの優しさが伝わってくる。離れて暮らしているからこそ、年齢が離れているからこそ、心の距離は近くなるのかもしれない。心温まる歌である。
 
  まなかいににじ色号より見る生家
     幼い頃の私が居そう 由良子
 
 加藤由良子さんの歌。「みさき白秋まつり」の一環として先月、北原白秋ゆかりの地を三崎港から船で巡る「港から巡る白秋文學コース」が開催され、加藤さんも参加された。加藤さんの生家は海沿いにあり、毎日海を見て暮らしていたが、海から生家を見るのは初めてで、懐かしい家の玄関が見えた時には、幼い日の自分が出てくるような錯覚に陥ったとのこと。思い出の詰まったその家は、もはや幼い頃の自分の一部なのだろう。誰にとっても生まれ育った場所は特別である。この歌の「にじ色号」という語をかりに船名だと思わず、海から生家を見ていると解釈しなかったとしても、読者がそれぞれの生家を思い浮かべたときに、この歌には命が宿る。
  二つ三つとヨット数える日曜日
     老いの心も何か弾みて 和子
 
 作者は清水和子さん。お住まいから見える海には、日曜日に休日を楽しんでいる人たちのヨットが行き交う。清水さんはもうお仕事もされておらず、日曜日も他の日と変わらないが、ヨットを見ると気持ちが弾んでくるそうで、コロナ禍でずっとヨットの数が少なかったが、ここに来て制限が少し緩和され、数が増えてきて嬉しく思っている。「一艘二艘」や「一艇二艇」ではなく「二つ三つ」と数えていることが、束の間であれコロナの緊張感から解放されてリラックスしている様子を表している。穏やかな一日になりそうな歌である。
 
  父母ちちははよ千代もと祈る心もて
     未だ帰らぬ吾身責め病む 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。大学入学で上京し帰郷せずに現在に至るご自身のお気持ちを詠まれた歌である。たとえ故郷を離れて暮らした年月の方が長くなろうとも、未だ心はどこか故郷にある。両親がそこにおられればなおさらで、再び一緒に暮らせたらどんなによいか。それが叶わないなら、いつまでも生きていてほしい。同じ思いを詠んだ歌は『古今和歌集』と『伊勢物語』の「さらぬ別れ」にもある。
 
  世の中にさらぬ別れのなくもがな
     千代もといのる人の子のため 業平
 
  じいさまの鼻歌流るる施術室
     我目を閉じて共に歌わん 弘子
 嶋田弘子さんの歌。ぎっくり腰をされて接骨院に通われたときに実際に体験されたことを詠まれた。その接骨院では施術中に患者さんの好みの音楽を流してくれる。ある年輩の男性が来られると「赤城の子守唄」のような古い歌がいつもかけられる。カーテンで仕切られていてその姿は見えないが、鼻歌が聞こえてくる。嶋田さんも流れてくる歌を歌うことができるのは、彼女のお父様が昔よく歌っていて覚えてしまったからである。カーテンの向こうの男性とお父様の姿が重なる。男性は父と同年代なのだろう。どこにお住まいで、どのような毎日を過ごされているのかと想像されたとのこと。
 歌が人の心をつなぐことを示した作品で、「じいさまの鼻歌」という言葉使いが秀逸である。この一言が作品の味わいを決定づけている。
 
  武士もののふの聖地となりし衣の城
     勝鬨の声空に響かむ 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。「衣の城」とは衣笠城のこと。実際には戦いに敗れて落城し勝鬨はあがらなかったが、一族を逃がしてひとり城に残り討たれた当主義明の心の中では、きっと勝鬨の声が響いていたに違いない。あるいは三浦の魂の宿る衣笠城址に立てば、岩間さんには勝鬨の声が聞こえてくるのだろうか。いずれにしても衣笠城と『吾妻鏡』で伝えられるような義明の最期は、三浦一族にとっては永遠の誇りである。
 どこか幻想的な雰囲気を持ち、歴史のロマンを伝える歌であり、使われている言葉のバランスは、優れた彫刻のように美しい。
 
  一分間の壁立ち三年継続し
     狭窄症の再発の無し 員子
 
 作者は羽床員子さん。狭窄症で二か月ほど入院された時に、リハビリのつもりで壁立ちをやり始め、病気が治った現在も続けられている。頭の体操になるかもと思われて、最近では一分間を数えるのに「ワン、ツー」と英語を使われているそうである。健康第一。健康を維持するには日々の努力が必要なことは誰もがわかっているが、実際にはなかなかできない。「再発の無し」という自信のこもった結句に、読者は自分も何かせねばと思うだろう。
  あだし世によせる嘆きは絶えねども
     堪えて待ちたし夜が明けるのを 裕二
 
 筆者の作。少し前に悲しい事故があった。ようやく世界的にコロナ感染防止のための制限が少し緩和され始め迎えたハロウィーンの日に、韓国の繁華街で密集した若者が転倒して圧死する事故が起こった。犠牲者は百五十六人。ただハロウィーンを楽しもうと街を訪れただけなのに、将来のある若者が一度にこれほど亡くなったのを見ると、なんとはかない世なのだろうと思ってしまう。それでも希望を捨てずに生きてゆくしかない。「世」と「夜」、「絶え」と「堪え」を掛詞にすることで作品に和歌の雰囲気を出した。
  
  暑き日々終はりていきなり真冬なり
     今年の秋刀魚まだ食べてない
 
 作者は三宅尚道さん。ユーモアのある歌である。まだ食べていない理由がどうしてなのか気になってしまう。最近秋刀魚はあまり取れないようだが、上句にあるような気候変動が影響しているのだろうか。安くて美味しい庶民の魚というのはもう過去のことになってしまったのか。秋といえば秋刀魚。もし「秋刀魚」ではなくて「松茸」だったら、この歌も親しみがなくなってしまう。
 
 歌会を終えて、三浦市民ホールに移動する。三浦市文化祭の催しの一つである「三浦市文化展」を見学する。私たちの作品も含めた短歌を始め、俳句、書道、絵画、写真など多くの作品が展示されていた。どの作品からも作者の思いが強く伝わってくるのは、それぞれが真剣に作品と向き合った証拠だろう。中には完成度の高さに驚嘆するものもあった。良い刺激を受け、短いながらも充実した時間となった。

河内裕二

日本浪漫学会主筆

 

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日本浪漫歌壇 秋 神無月 令和四年十月十五日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 これまで全く気にしたことがなく、十月の祝日といえば「体育の日」だと思っていたら、いつの間にか「スポーツの日」になっていた。驚いて十一月三日をカレンダーで見ると「文化の日」はそのままで、「カルチャーの日」にはなっていなくてほっとした。そもそも祝日が英語の名称というのはどうなのだろう。調べてみると、二〇二三年から「国民体育大会」は「国民スポーツ大会」に名称が変更され、略称も「国スポ」になる。明らかに「体育」という言葉が避けられている。時代錯誤ということなのだろうか。今後この言葉が使われるのはおそらく学校においてだけである。
 歌会は十月十五日午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の八氏と河内裕二。
 
  お互いに檄を飛ばして電話切る
     残り少なし貴重な時を 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。先日友人から電話があった。話題はいつものように体調のことなり、最後は「頑張ろうね」と言って電話を切る。下句は心情がストレートに表現されている。切った瞬間に再び自分の日常に戻る電話という設定もこの心情を表すのには効果的である。「貴重な時」という言葉は、状況は異なっても万人に当てはまる。この言葉を使うことで誰もが共感できる歌にしている。
 
  塩強め娘の漬けし梅干しを
     めばなつかし昔の味す 光枝
 嘉山光枝さんの作品。娘さんが毎年梅干しを漬けていて、その塩味の強い梅干しを食べると、嘉山さんのお母様の漬けた同じく塩味の強かった梅干しを思い出されるとのこと。嘉山さんにとっては、市販の砂糖や蜂蜜の加わった甘いタイプではなく、今でも昔ながらの塩強めなのが梅干しなのである。一粒の梅干しに、家族の歴史や思い出を詠み込まれた。
 
  大漁か群れ飛ぶとんび窓辺まで
     大きな影が食卓を舞う 和子
 
 作者は清水和子さん。海の近くにお住まいの清水さんが実際に体験されたことを詠まれた。映像作品のような動きのある見事な歌である。かなり特殊な光景にもかかわらず、あたかも自分が目の前で見たような気になる。細かい説明は不要である。
 
  古戦場赤く染めたる夕焼けに
     負けじと咲けり曼珠沙華の花 裕二
 
 筆者の作。筆者の住んでいる地域は、鎌倉時代後期(一三三三年)に鎌倉幕府軍と新田義貞率いる反幕府軍が戦った古戦場である。この戦いで勝利した義貞は鎌倉に軍を進め、やがて幕府を倒す。駅前には新田義貞の像があってその顔は鎌倉の方角を向いている。普段古戦場なのを意識して生活している人はいないだろうが、先日筆者は曼珠沙華があちこちで咲き、さらに辺りが夕日で赤く染まるのを見た際に、赤色が血を連想させ、ここが古戦場であったことを強く意識した。どちらも見事な赤で、まるで色彩を争っているかのような気がしたのである。
 
  「デストロイ」と名付けし孫の作品は
     ミサイル握る巨大な拳 員子
 作者は羽床員子さん。お孫さんが作った像が県から賞を受けた。驚いたことにお孫さんは女性である。実際の作品の写真を見せていただくと、なるほど賞に輝くにふさわしい立派な芸術作品である。英語の「デストロイ」をタイトルに付けるところや作品モチーフから作者はある程度の年齢だと想像できる。高校生とのことで、作品を見れば納得である。
 
  腸削る手術の日取り傍らに
     青い蜜柑をむさぼり喰らふ 成秋
 
 濱野成秋会長の作。手術は百パーセント成功するとは限らないし、術後の経過もどうなるのかわからない。手術を受けるかと思うと、どこかやけになるような気持ちになり、食べるにはまだ早い青い蜜柑をむさぼり喰らう。そのように読むだけではこの歌の本質を掴んではいないだろう。人間にとって食べることはまさに生きることである。むさぼり喰らうのは、生に執着するからであり、絶対に生きるという強い表明である。歌を詠まれた時には、手術を受けるつもりだったが、その後お気持ちが変わられたとのこと。
 
  鴨遊ぶ川面に映る赤柿や
     穏やかなりし歳月語らむ 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。秋の情景を描いた日本画のような歌であるが、作者によれば、実際に日本画を描くように秋のものを寄せて詠まれたとのことである。つまり本作は自然を描写した写実的な歌ではなく象徴的な歌である。鴨が遊ぶのも赤柿もすべて下句の内容の象徴になっている。とくに赤柿は単に秋を示しているのではない。柿といって思い出す言葉は、「桃栗三年柿八年」であり、柿はとくに実を付けるまでに長い年月がかかる。柿がなっているのはすなわち、穏やかな歳月が長く続いていることを表す。作者はウクライナの戦争に言及した。そのことも合わせて、本作は秋の情景を詠んだのではなく、争いのない穏やかな世界を願う作者の気持ちを詠んだものだと筆者は解釈した。
  家猫の二匹が眠る縁側に
     秋の日を浴びゴロゴロゴロ ゴ 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。穏やかな歌である。何気ない言葉が続いて、結句でインパクトのある言葉が登場。ゴロゴロと寝ている様子を表す言葉かと思いきや、それだけではなく猫が喉を鳴らす音も同時に表現しているとのことで、さらに最後が「ゴロ」ではなく「ゴ」となっているのは、途中で猫が寝てしまって最後まで音を鳴らさなかったのを表している。何とも手が込んでいる。一匹だと寂しさを感じてしまうかもしれないが、二匹いることで和やかな雰囲気を出している。このあたりの工夫も見事である。
  
  足柄は親子三人みたりを包みをり
     過ぎゆく四十年よそとせ祝福ありや 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。「親子三人」とは嶋田さんご夫婦と長女のことである。長女が生まれた時に親子三人で旅行した。その後は他にお子さんが生まれて、この三人だけで行くことはなくなったが、数年前に四十年ぶりにまた三人で旅行ができた。懐かしくとても幸せな気持ちになった。それで、今年もまた三人で同じ場所に行った。楽しいだろうと思って行ったが、娘さんが悩みを抱えていて楽しむ余裕がなく、そのような状況だったので、嶋田さんは結句に「祝福ありや」とご自身の気持ちを込められた。「三人」「四十年」と使う二つの数字を「三」「四」と並べることで自然なリズムを出しているのは流石である。
 
 今回の歌会で印象に残った一つは、三宅さんの「オノマトペ」を使った表現である。日本語にはオノマトペが多い気がするが、効果的に使えば、説明調にならないイメージ豊かな詩的表現となる。しかし言葉を選ぶのが難しい。ありふれたものだったり、合っていなければ逆効果となる。「ゴロゴロ」はありふれている。そこから独自の表現を作り出された三宅さんの挑戦には脱帽である。