うめの香り  高鳥奈緒   2024.1.17
 
ほのかなうめの香りは春の訪れ
冬山に彩りを添えて
柔らかな暖かい日差しの中
貴方と散歩したこの山道
小さな小梅は青空の下に映えて
貴方を求めて咲き乱れている私みたい
白、赤、桃色の小梅・・・どの色もいいね
貴方は選べないみたい気の多い人みたいだった
私は、貴方にとって何色の花だったの
あの頃のように仲良く歩きたい
今年のうめの花は誰と見ているの
きっと私とは違うタイプの色の小梅ね
醜いやきもちを焼かせる貴方を許せない
うめ香る季節には悲しい涙の雨が降る
「目黒川音頭」と「目黒川恋歌」  作詩 濱野成秋   2024.3.21
 
     序
 
 音頭は元来、世俗がむき出しで成った歌謡である。
 卑猥な風俗、隠さない心根さえも恥じらいも厭わずぶつけてこそ、本心で愛する音頭となると考える。本音をぶつけて何が悪いという開き直りには、苦労の毎日、失敗だらけの人生がむき出しの庶民には愛すべき笑いと哀しみの歌になっている。
 最近筆者は戦中戦後にかけて学者歌人として著名な川田順が昭和六年に出した満州訪問記とでもいうか、短歌集『かささぎ』を読みつ、自らも歌う掌編を書いた。少々硬直気味の心境が持続し、その直後の筆に成る。だから、「わたしゃ真室川の梅の花。あなたはこの町の鶯よ…と始まる「真室川音頭」に視る卑俗な「からみ」が色濃く滲む。
 川田の作風とはいかに異質か。冒頭にこうあり。
 
  大君おほぎみの遠の使つかひ寧楽人ならびと
     いはひて行きしあらきこの海
 
 筆者は抵抗を感じるも、素直に触発された風で、、
 
  奈良人の超えへし灘海なだみに乗り出でる
     おのが小袖に跳ねる荒波
 
 と詠む。恥ずるべくもない。千年の古代から数百年の近世に、寸時に跳んで、江戸期の、怪談めいた情話に浸るを愛でて俗謡を書くと次のように成った。
「目黒川音頭」   濱野成秋作詩
 
 目黒川には江戸期の、歌舞伎でも評判を取った鶴屋南北作の「白井権八と花魁こむらさき」の切ない情話が絡んで消えない。今人はこれを微塵も知らぬ。もったいないし赦せない。絶えた死霊に憑りつかれしは己が独りか、やるせない。筆者はゆえに、この情話に拘泥り、筆が進む。
 
☆壱番
スチャラカシャンシャン、……
スチャラカシャンシャン、……
咲いた咲いたよ 目黒の桜
逢うて嬉しや 人波小波
川のおもてに 頬くっつけて
いとし 恋しやお初の出逢い
交わす小指も夢ごこち
目黒音頭も夢心地、夢心地
ソレ!
目黒よいとこ 一度はおいで
誰に気兼ねも要るものか
ソレ!
目黒よいとこ 一度はおいで
可愛小袖に半幅帯で
ソレ!
 
 
大江戸恋しや 一度はおいで
此処は元禄 花見酒 花見酒
スチャラカシャンシャン、……
スチャラカシャンシャン、……
 
☆弐番
スチャラカシャンシャン、……
スチャラカシャンシャン、……
西の祇園は東の目黒
誰そ彼ぼんぼり 夜更けは錦
三味と太鼓に浮かれて酔うて
奴さん尻端折しりばしょ
きりりと締めて
粋な目くばせ
にっこり笑顔
ソレ
踊り明かそう
目黒の岸辺
恋の未練も尽きぬまで
ソレ!
 
 
踊り明かそう
目黒の出遭い
ソレ!
愛し恋しの
目黒川、目黒川
 
 
「目黒川恋歌」  作詩 濱野成秋
 
☆壱番
チントン、チレンツ、ツウンシャン
花は大江戸 目黒のさくら
小紫こむらさき待つ 愛しき街よ
川辺の春雨 寄り添う二人
腕に縋って しなだれ濡れて
けふもそぞろに 春雨しとど
濡れて渇ひて 渇ひてぬれて
雄蕊雌しべも 花魁おひらん橋も
春はめぐろよ ヤーレ 恋の街
チテチテ ツルーン、シャン
 
 
☆弐番
チントン、チレンツ、ツウンシャン
花は散りめ 葉桜愛い愛い
逢うて嬉しや 目黒の岸辺
月は木の間を ちらちらと
ほろ酔い 頬寄せ 今日もまた
おぼろ月夜の 逢う瀬の宿よ
でもなによそれ
ささの機嫌の 爪弾きみたい
権八のごと 手切れにするの
チテチテ ツルーン、シャン
チテチテ ツルーン、シャン
 
☆参番
女・遭へて嬉しや 三年ぶりね
男・目黒の川風 こごちよい
女・あらま独り身 お気の毒
女・私を探して毎日ここへ?
男・まるで権八 小紫こむらさき
女・そんなのいやよ 幸せ欲しい
女・目黒の川は幸せの
男・小笹舟おざさぶねを流す川
 
 
☆繰り返し
巡る弥生は 楽しみばかり
雄蕊雌しべも 花魁おひらん橋も
目黒に巡るよ 目黒に巡るよ
ヤーレ 恋の街
 
 
☆本作は2024.03.21に書き起こし同月28日に日本浪漫学会会員たちと回覧し目黒川花見の席にて披露発表に及んだ。当日の立会人は作曲家山川英毅(慶大哲学科よりボストン「バークリー音楽院」卒業)、同学会会員で大正大学英文学科卒業の閨秀詩人高鳥奈緒、まとめ役を同学会副会長河内裕二尚美大学准教授に依頼した。作詩は中央公論社や研究社での出版歴の多い警鐘作家濱野成秋。学生時代、目黒に居住し昔日の想い出とみに多し。制作時点で濱野成秋は日本浪漫学会の初代会長である。
空き地  高鳥奈緒   2024.3.18
 
空き地でバラ線くぐってすりむき傷
泣きながら大きな水溜まり
おろしたての白いズックも汚れたって
裸足で歩いてズックも失くしたから
母にもしかられたねお兄ちゃん
 
夏は住宅街の敷地へ探検隊
「蝉をとらせてください」とチャイム音鳴らした
近所のおばさんにアイスもらった
お兄ちゃんを頼りに臆病な私は大冒険
いつだってお兄ちゃんには敵わない
 
 
大人になって、ある日突然
臆病な妹を置き去りにして
お兄ちゃんは振り返ることもなく
逝ってしまった
今日は三回忌
向こうから私を気にしているのかな?
もう私は臆病じゃないよ
私はあの頃より強くなったよ
 
あの楽しかった空き地も今はないけれど
時は流れて思い出の中で生きているから
いつだってお兄ちゃんに会える
いつまでも、いつまでも消えない
川田順の満州紀行と我が人生歌  濱野成秋   2024.3.18
 
 川田順が昭和六年に出した満州訪問記とでもいうか、短歌集『かささぎ』を読みながら、この歌人の旅人としての心情にふれて、幾つかのうたを創る。
 例によって、他者に触発されての本歌取りもしたが、その数は二つか三つ。読みながら、全く別の発想が堆く積み上がり、発句が次々と浮上したので、即興で詠んだ歌が殆どとなった。ところが推敲を二度三度とやっていると、人生の深い所で通底するので奇妙な印象で終わった。丁度一百年の時間の落差である。また大変容を遂げた開発以前の中国大陸と文明乱立の両国の暮らしぶりとが通底して視えるのは予想だにしない収穫だと言える。
 歌人川田順は記録好きで、京城訪問九回四十八日滞在、などと記して、奉天六回、大連五回、旅順三回と訪れ、平壌にも二回行く小まめな旅をして作歌におよぶ。当然、旅情もたっぷりと思う。
 「序曲」と小見出しを置いて川田はこう詠う。
 
  大君の遠の使と寧楽人ならびと
     いはひて行きしあらきこの海
 
 筆者は素直に触発されて、
 
  奈良人の超えへし灘海なだみに乗り出でし
     我が小袖にも跳ねし荒波
 
 
 と読む。従順な本歌取りだが、視点が全く異なる。川田は朝廷を礼賛し、大宮人の辛苦を窺う。いささか古き時代を味わう程度で実感を得るに程遠い。正直、歴史の雪に降られる実感は僅かなり。我が小袖をわが衣手と書こうとしたが、その後にとか露を連想するし、川田のようにあからさまに皇道参賀もどうかと思え、「小袖」とした。洋服を着ると筒袖になるが、身分なき身こそ召し物である。ゆえに川田とはまったく別個の歌が一つ生まれて当然なわけだ。と思うと、意外にも全く別個の一首が浮かんだ。
 
  何一つ人智教へぬ親なれど
     愛の数々いまだ生き生き
 
 船出とは全く異なる発想である。だが多分、もし俺がまだ支配中の満州に旅となると、どうせお決まりの満州浪人の類となろう、無頼漢となるであろうと想うと、親不孝を詫びて出た歌である。
 川田はこんな情景も読んでいる。
 
  のびやかに鋤の長柄に顎をのせて
     わが汽車を見る支那の男は
 
 
 歌の小見出しには「満鉄本線車中即事」とある。
 満鉄とは南満州鉄道のことで、現代でも大連に行くと、元満鉄本社がロータリー沿いにあり、おなじロータリーには「大和ホテル」もあって、帝国陸海軍や高級官僚が家族連れで滞在していた。関東軍の守備隊の下士官以下は警備で動かされて「アジア号」に乗って、ロシア人の乗員の世話でいい気になって旅をする勝ち誇った日系人なら、誰もが窓外に目に映ずる中国農民の鋤の長柄の上に自分の顎を載せて日本人の走らせる超特急「アジア号」をボケーと見ている姿を眺めて、未開人たちと思っただろうが、その心底に滾る憎悪の念を読みとらねばならないし、日本の農家でも、鋤打ちでは休むとき、顎を鍬の上に置いて休む。私は戦中も戦後も、幾度となくその姿を日本国内で目撃している。わざわざ満鉄のアジア号を配して描写するには中らない。
 川田の歌は支那の女や支那の童にも、ぼんやり満鉄を眺める姿を捉える。支配者時代の言い知れぬ恥辱の一ページとも思われて複雑な思いである。
 
 川田は砂竜巻にも遭っている。
 
  竜巻をまこと見るかも目交に
     うつそみの吾が目を疑へり
 
 
 筆者も西安を過ぎ、敦煌に向かう索漠たる荒地にあって同じ思いをしたことがある。竜巻に驚く。
 
  竜巻に巻き込まれしか夕陽さす
     人智も夢も打ち砕くかも    成秋
 
 中国に限らずとも、エジプト訪問でも屡々想うことだが、古代人も為政者は巨大な墓地を建造しながら思うことは周りの者たちが自分の死後、どう考え、どう行動するかである。ねたみ、そねみで、墓穴はズタズタにされる被害者になりきって、巨岩を幾層にも重ね合わせ、そうはさせじと、防御に出る。
 
  吾妹もその子も孫もその先も
     皆苦しむかねたみそねみに   成秋
 
  親だまし独り歩めり吾妹の
     つたなき日々や哀しみに満ち  成秋
 
 
 川田は羊を上手く捉えて詠める。
 
  たもとほりわれもひもじきゆふべなり
     羊の群れの 飼葉食む音   川田順
 
  ひと群れの羊もの憂ひ夕暮れに
     飼葉食む音 心に沁みる   成秋
日本浪漫歌壇 春 弥生 令和六年三月十六日
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 インターネットで「今日は何の日」といった記念日を紹介するサイトを見ると、三月十六日は「国立公園指定記念日」となっている。一九三四年の三月十六日に日本で初めて国立公園が指定されたためである。場所は瀬戸内海、雲仙、霧島の三箇所である。それ以来、いくつもの場所が国立公園に指定され、現在では全国に三十四箇所もある。国立公園は国が管理するが、都道府県が管理する国定公園というのもあり、そちらは現在五十八箇所が指定されている。世界で初めて国立公園に指定されたのはアメリカのイエローストーンで一八七二年のことである。貴重な自然が国立公園として守られるのはよいことだが、裏を返せばそうしないと守られないということで、そう考えると寂しい気分になる。歌会を開催している三浦の自然もいつまでも残ってほしい。
 歌会は三月十六日午前一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長の七氏と河内裕二であった。
 
  申告を済ませ厳寒を戻りくれば
     河津桜のほころびており 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。寒い中、確定申告を済ませて帰ってくるとお家の近くで河津桜が咲いていたという申告日のひとときを詠まれた歌である。それまで申告のことで頭がいっぱいで桜が咲いていることに気持ちが及ばなかったが、申告を済ませてようやく周りを見る余裕が出で気がついた。毎年申告を行う人でも申告時にはなぜか緊張感があり、済ませると安堵の気持ちになる。申告を行った人には共感できる歌であろう。
 
  空高くピーヒョロロと鳴くトビ数羽
     旋回しては急降下する 光枝
 作者は嘉山光枝さん。三浦ではトビが多く飛んでいる。空高くを飛んでいると感じないが降りてきて近くで見るとその大きさに驚いてしまう。筆者は日常的にトビを見ることもなく、ピーヒョロロと鳴くとは知らなかった。嘉山さんのご自宅の近くではトビがよく急降下する。その辺りには野生のリスやウサギがいるので、それらを狙って降りてくるのではないかとのことであった。トビのダイナミックな動きを感じさせる歌である。
 
  幼き日孫の好物は「鮭の皮」
     思いてつつく朝食の膳 和子
 
 清水和子さんの歌。「鮭の皮」を詠うのがとてもユニークである。魚の皮の好き嫌いは人によるだろうが、見かけはあまりよくないものの食べてみると意外と美味しかったりするのは誰もが経験しているだろう。魚の美味しさはよく「あぶらが乗っている」と表現される。皮の裏にあぶらが付いているので、魚好きには皮は「好物」になりうる。清水さんのお話では、小学生だったお孫さんは学校で好きな食べ物を聞かれ、「鮭の皮」と答えたそうである。下句のように、今でも朝食で鮭を食べるときにはいつもそのお孫さんを思い出される。孫を思う作者の温かい気持ちが伝わってくる。
 
  健康維持肉にサプリに運動や
     いい塩梅はかたげなりしや 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。一番大切なのは健康だと誰もがわかっている。でもそれをどうすれば維持できるのか。多くの人が「限定」という言葉に弱いのと同様に、「健康」という言葉にも弱い。巷には「健康維持」や「健康増進」をうたった製品や様々な健康法があふれている。いったい何が「正解」なのか誰もが知りたいと思うその心理を意識して、共感を生み出す歌にされている。この歌の巧みさは、作者が言いたい「何事もいい塩梅は難しい」ということを健康と絡めて述べることで読者を惹きつけて伝えることである。製品販売と同様の戦略である。
  郵便の配達バイクは電動で
     静かに来たり三月の朝 尚道
 
 三宅尚道さんの歌。郵便配達や新聞配達のバイクといえば長らくカブであった。その姿形だけでなく、音も慣れ親しんだものになっている。歌にあるように最近は電動バイクに代わってきていて、形こそ似ているが、音はなくなりつつある。人によっては毎日ほぼ同じ時間帯にやって来るバイクの音が、時を告げる鐘のような役割を果たしている。注意したいのは、この歌は静かなバイクを詠むことで、実は昔ながらのバイクについて語っている点である。
 
  浪漫の初夏とはなりぬ燕子花かきつばた
     昔の人にわが身袖振る 成秋
 
 濱野成秋会長の作。「袖振る」で終わる歌というと額田王の歌が思い出される。野の番人ならぬ昔の人に袖を振る。咲くのは紫色のかきつばた。長い時間を飛び越えて昔がいまに甦った感覚になる歌である。「かきつばた」といえば在原業平の「かきつばた」の文字を詠み込んだ歌にも思いは向く。
 
  学生が糸で描いた肖像画
     線に込めしは祖父母への愛 裕二
 
 筆者の作。勤務する学校の学生が卒業制作展で発表した作品について詠んだ歌である。その作品は一見すると色鉛筆で描かれた肖像画のようであるが、近くで見るとその細い線の一本一本が真っ直ぐ張った糸でできていた。六色の糸を重ねて、微妙な色合いを出している。筆者はそのような技法を使った作品を初めて見た。仕上がりを考えながら糸を一本ずつ張っていく。完成までに気が遠くなるような時間と労力がかかることは容易に想像できるが、その絵のモデルが祖父母なのが感動を呼ぶ。制作者は中国からの留学生で、祖父母に育てられ、彼らのことが大好きだという。愛する祖父母を思って糸を張っていく。糸で描かれたこの作品だけでなく、彼女の作品はいつも祖父母がモデルである。彼女の愛を歌で伝えたかった。
 
  カラフルなランドセル増え性別に
     こだわらぬ世の身近となりぬ 員子
 
 作者は羽床員子さん。筆者が小学生の頃はランドセルの色は赤と黒しかなかった。暗黙のうちに男の子は黒、女の子は赤と決まっていた。確かに最近は赤や黒以外の色をよく見かけるようになった。朝日新聞デジタルの記事によると、二〇〇一年にイオンが二十四色を売り出して多色化が進んだとのことで、現在は「ジェンダーレス」がトレンドだとか。この歌の通りである。ただ筆者が普段街ゆく小学生を見ている印象では、男の子は黒や青のような寒色系、女の子は赤やピンクのような暖色系のランドセルを持っていて、色のバリエーションは増えたが、なにか昔とあまり変わっていない気がする。嘉山さんの男の子のお孫さんは、親の好みで小さいときにはピンク色の服なども着ていたが、成長してくると青とか黒とかしか着なくなったそうである。社会通念は簡単には変わらなく、その影響は大きい。
 
 今回の歌会では、時間的な広がりを持つ歌はやはり重みや安定感がでてくることがよくわかった。濱野先生の歌がそうである。逆に、現在の一瞬を切り取るような作品は鮮やかな印象を残す。嘉山さんの作品などはそうしてスピード感を出している。
 
 時間の幅を考えた上で歌を作れば、新しい印象の歌ができるかもしれない。筆者はこれまで時間という点をあまり考えずに歌を詠み、完成した歌を説明する段階になって初めて時間に注目していた。短歌は三十一文字で表現しなくてはならない。良い歌を詠むには、あらゆる工夫が必要となる。