日本浪漫歌壇 秋 神無月 令和三年十月十六日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 「読書の秋」という言葉がある。言葉の由来とされる韓愈の漢詩の一節「灯火親しむべし」は「秋の夜は灯りをともして読書するのにするのにふさわしい」といった意味で、『大歳時記』によると江戸時代の俳人により引用され使われ始めたとのことである。なるほど火を灯した明かりの下で読書するのに、夏の暑さは堪えただろう。暑さが一段落し、夜も長くなる秋が本を読むのに最適としたのも納得である。歌を詠むのも同様で、涼しくなった秋が集中できてよい。十月も中旬となり歌会当日は過ごしやすい秋の日となった。
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、十月十六日の午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、櫻井艶子、嶋田弘子、玉榮良江の六氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長と河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏も詠草を寄せられた。
 
  コロナ解けわずかに残れる中学の
     クラス会あり久しい便り 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。コロナ禍の現在は内容が非常によく理解できる歌。クラス会で級友に会える喜びと参加できる人が少なくなった寂しさの混在する気持ちを詠んだ味わいのある一首である。
  人世ひとよ老ひかぼそきかひなで野分け戸を
     閉めていかづちしっぽり想ひて 成秋
 
 濱野会長の作。台風が来るので自分の老いさらばえた腕で雨戸を閉めると外で雷がなっている。その状況に会長はお母様が三味線を習ってきて歌っていた俗謡を思い出されたそうで、雷さんが戸を閉めてふたりしっぽりという歌詞があり、下句はそこからとのこと。調べてみると「新土佐節」という座敷歌で次のような歌詞である。
 
  雷さんは粋な方だよ 戸を閉めさせて
  二人 しっぽり 濡らした 通り雨よ
  そうだ そうだ まったくだよ
 
 歌からだけでは読み取れないが、濱野会長のお母様への思いも込められた一首である。
 
  きぬかつぎ茹でて塩つけ食すれば
     旬の小芋はやっぱり旨し 光枝
 嘉山光枝さんの歌。きぬかつぎとは里芋を皮のまま茹でたもので、この時期に里芋の小芋が旬で美味しいと詠まれている。嘉山さんは食にまつわる歌を多く詠まれるとのことだが、食文化という言葉があるように、食は民族や地域を特徴づけるものであり、何をどのように調理してどのような作法で食べるのかはまさに歴史や文化そのものである。
 
  秋めいた風の音 聞くラジオより
     「少年時代」たびたび流る 尚道
 
 「少年時代」は一九九〇年にリリースされた井上陽水のヒット曲である。この曲を知らないと歌の意味するところがわかりにくいのではと言うのは作者の三宅尚道さん。「夏が過ぎ風あざみ」という歌詞で始まる「少年時代」は、歌詞から判断すると、過ぎ去ってしまった夏の思い出に浸る「私」のことを歌っているが、この曲は秋になるとラジオ等でよくかかるそうで、これを聞くと秋になったと実感されるのだろう。さらに古今和歌集に収められている藤原敏行朝臣の次の一首も念頭に詠まれたとのこと。
  
  秋来ぬと目にはさやかに見えねども
     風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行朝臣
  
 紅葉や月などを見て秋を感じることが多いが、三宅さんは風の音やラジオから聞こえてくる曲を聞いて秋を感じている。作者の豊かな感受性を表す一首である。
  夕暮れに月下美人を褒められて
     娘と思うか落ちつかぬ夜 和子
  
 本日は欠席の清水和子さんの作品。月下美人の花は夕方に咲いて一晩で散ってしまう。この歌は、育てている月下美人の花が咲いたことを歌ったのか、それとも何かの例えだろうか。「娘」の解釈が参加者の間で議論になった。「娘」というのは月下美人のことで作者は月下美人を娘のように思っているという解釈と「娘」とは作者自身のことで月下美人を褒めてくれた人がまさか自分をそんなふうに思うのかと何となく落ち着かないという解釈である。どちらの解釈が正解なのかではなく、想像をかきたてて様々に解釈できることがこの歌の魅力である。
  
  晩秋の道に落ちたるどんぐりの
     行く末われに重なりて見ゆ 裕二
 
 筆者の作。秋も深まりどんぐりが道に落ちて転がっている光景を目にして詠んだ歌。土の地面に落ちればやがて芽を出すのだろうが、ほとんどが舗装された道路に落ちて通行する人や車に踏まれている。わずかに道の隅でひっそり難を逃れるものや道の真ん中でも無傷のままの強運を持つものもいて、どこか人の世を見ているような感じがした。
 歌に非常に寂しさが出ていて、参加者の中で一番若い筆者が詠んだことに皆様は少し驚かれた。整った歌であるというご意見をいただいた。
  コロナ禍の新しいままの靴履いて
     半歩踏み出す青天だから 弘子
  
 作者は嶋田弘子さん。母の日に娘さんから靴をもらったのに、コロナ禍でどこにも行けずに長く下駄箱に入れたままになっていた。緊急事態宣言が解除になり、台風一過で晴天になった日に、ようやくその靴を履いて出かけようという気持ちになったが、コロナが収束したわけではない。不安は消えず、まだ一歩は出られない。コロナ前のようにはいかない気持ちを「半歩」という言葉に込められた。
 コロナ禍でどこにも出られないことを新しい靴で表現するのが秀逸であるという意見が出た。
 
  台風に打たれて濡れしゴーヤーの
     実は残りをりふとらぬままに 良江
 
 家庭菜園をされている玉榮良江さんの作。日照不足と雨が降り続いたことで育てていたゴーヤのできが悪く、その状況を写生した歌である。ゴーヤの収穫期は七月から九月頃までだが、最後の収穫が残念な結果となったのだろうか。ゴーヤはその苦さのためか野生動物に食べられることもなく天候がよければ立派な実が収穫できる。実が痩せて軽いために台風に見舞われても落ちずに残っているのが切ない。ゴーヤを他の野菜にしてしまってはこの哀愁は出ないだろう。
  雨風に秋の訪れ聞きし日は
     夫のぬくもりおぼろなつかし 艶子
 
 作者は櫻井艶子さん。ご主人が亡くなって三年が経過し、最近はよく思い出されるそうで、秋が来て寂しい気持ちになったときにご主人の優しさを思い出されて詠まれた歌である。十年ほど前にご主人を亡くされた嘉山さんは、亡くなって三年ほどは思い出が濃く詰まっていて、それからだんだん薄れていくとご自身の経験を語られ、この歌がよく理解できると仰った。「おぼろ」は春の季語なので秋の歌に使うことを櫻井さんは気にされたが、短歌なので問題はないということに。
 
 今回の歌会では、三十一音の定形で情景と心情を表現する難しさを改めて実感した。しかしその制約ゆえに言葉や内容が集約され深みが出る。氷山のイメージが浮かぶ。氷山の一角から隠れている大きな部分を想像する。表層を理解するだけでは核心には到達できない。歌から広がっていく世界に包まれ、作者の思いに共鳴する。千三百年も続いてきた短歌の定型がそれを可能にしている。よい作品に触れ、本日も充実した一日であった。
『白亜館の幽霊』作者  濱野成秋
 
 
 ワイルドの『サロメ』は出版後百年を経ても読者の憑りつく魔物である。僕には2度にわたって憑りついた。最初は大学1年のころ、まだ僕が大阪から東京に出てきて間がない少年だった。血の滴り落ちる男の生首に接吻するサロメはサドの典型だった。グロの極致でもあった。三島好みの死への憧れというか、嗜虐愛の典型に見えた。
 その頃、僕はアイスキュロスの「アガネムノン」とか「エレクトラ」、エディプス王」に憑りつかれ、ソフォクレスやエウリピデスなど、ギリシャ悲劇の延長線上にこのユダヤ王エロデ一族を見据えて、家族の相克もここまで至る凄さに驚いたものだ。
 ところが今回は19世紀末にアメリカに生きた作者オスカー・ワイルドがなぜ世紀末にこれを書く気になったかに焦点が当たった。たまたま近々出版予定の私の長編『白亜館の幽霊』とも関連してくる。主人公が内在させる霊魂と真正面から取り組みながら、自分の出自が不確かで、見極められず悩む現代っ子の女性の彷徨いの姿を描き出した、その最中の精読だったから、解釈はおそろしく異なる。それに期せずして自分の描く主人公も出自については悩み、惑う。サロメのように。
 サロメは貴族の末裔だが、エロディアスと前夫との間に出来た子。母はエロデと結ばれるために、その兄であった夫を殺したらしい。
 
 この設定はシェークスピアの『ハムレット』に登場するハムレットの母ガートルードと同じ。素性が悪い。体内には穢れ汚れた血を流すユダヤ娘だと知る預言者ヨカナーンは、彼女を「バビロンの女」だと呼んで蔑み、彼女の行く末は滅亡の地ソドムだと預言する。
 そんなヨカナーンを呪いつ惹かれるサロメ。
 彼女もまたそんなヨカナーンの肌に惹かれて求愛する。
 他方、母親と結婚したエロデ王は素性の卑しい男で、今ではエロディアスよりもサロメに魅せられ踊れ踊れ、何でも褒美を取らせると迫る。
 これは近親相姦の罪である。
 こうなると、このエロデ王一族はとてつもなく罪な存在となり、それを知るヨカナーンが殺されて、その首を欲しいと言ってきかないサロメはその生首に抱擁する。
 私の作品にはヨカナーンは登場しないが、この預言者が囚われていたという水牢は現に衣笠城には存在する。つまり、筆者が言いたいのは、学生時代にワイルドを読んだせいかどうかは知らねど、登場人物が皆それぞれに業を背負って迷妄することだ。
 僕の主人公はサロメのように生首を欲しがらない。だが自分の中に流れる忌まわしい血を持て余している。
それはワイルド自身でもあり、私自身でもある。
日本浪漫歌壇 夏 文月 令和三年七月十七日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 歌会前日に気象庁が関東甲信地方の梅雨明けを発表した。今年は梅雨入りが平年より一週間ほど遅かったが、明けるのは三日ほど早かった。歌会当日は気持ちの良い晴天となり、先月よりも駅や電車には人が多かった。最近よく耳にするようになった言葉に「人流」がある。「人の流れ」という語は普通に使われていたが、「人流」はコロナ禍になって初めて聞いた。流れを表す意味で「電流」「水流」「物流」などはよく聞いても「人流」は聞いたことがなかった。国語辞典を引いてみても「人流」だけ載っていない。「流」という漢字には「流れ」以外にも多くの意味がある。例えば「女流」のように類という意味もあるし、「流行」のような伝わり広がるという意味もある。最近よく使われる造語「韓流」は韓国の流行という意味である。「流派」や「流暢」の「流」もまたそれぞれ別の意味である。これまで「人の流れ」は使われても「人流」が使われなかったのは、この「流」の多義のためで、それがコロナ禍によって人の移動が注意点としてあまりに強調され、「人」と「流」の組み合わせで「流れ」以外の意味など想像もされなくなったために「人流」が突然使われ始めたのではないか。そうだとすれば、コロナは言葉にも影響を与えている。
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、七月十七日の午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、桜井艶子、嶋田弘子、玉榮良江の六氏、日本浪漫学会から河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏と日本浪漫学会の濱野成秋会長も詠草を寄せられた。
  夫逝きて十年となり独り居も
     「なれましたよと」と花を供へる 光枝
 
 嘉山光枝さんの作。ご主人が亡くなって今月で十年になる。ひとりの不安や寂しさはあるが、現在は自由な時間をいただいたと思うようにしている。ただ、自由を感じているとはいえ、夫婦はやはり喧嘩をしているうちが華であると嘉山さんは仰る。わかりやすく表現されていて嘉山さんのお気持ちがよく伝わってくるというのが皆さんの共通する感想だった。パートナーを亡くされた方にはとくに共感できる歌であろう。
 
  梅雨はしり仙台秋保あきうあざやかな
     みどりと藤とあたたかき人と 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。五月に秋保温泉に旅した時の一首。秋保温泉までは仙台からバスで四十分ほど。新緑を眺めながら向かっていると、その緑に天然の藤が美しい彩りを添えていた。秋保温泉の美しい風景とさらに地元の人たちの温かさに感動されたとのことで、梅雨前のぐずついた天気を吹き飛ばすような爽やかな歌である。
 
  早朝のバスの人々会話なく
     マスクを付けて皆前を見る 尚道
 作者は三宅尚道さん。まったくその通りだと皆さんが仰った。何気ない日常の光景が詠まれているが、「マスクを付けて」とあれば、現在のコロナ禍では読み手は様々に想像をめぐらせる。不要不急の外出の自粛が求められる中、乗客は早朝にどこへ向かっているのか。仕事だろうか、買い物だろうか、ワクチン接種だろうか。会話がないのはひとりで出かけているからか、感染予防のためか、同調圧力のためか。いつまでこの生活が続くのだろう。三宅さんは結句「皆前を見る」に、社会の閉塞状況の中でも前を見てゆこうという思いを込めたと仰った。
 
  産土の宮に飛びかうつがい鳥
     おいかけおいこしいずこへか消ゆ 弘子
 
 作者の嶋田弘子さんのお話では、実際には鳥ではなく蝶だったそうだが、ご自身が目にした光景を詠まれたとのこと。ご主人の手術前に神社に寄ってお願いをした際に、二匹の蝶が追いかけ合うように飛んでいて、しばらくするとどこかに消えていった。その蝶を見て、何だかご夫婦の人生と重なるように感じてこの歌を詠まれた。映像が目に浮かんでくるというのが皆さん共通のご意見であった。
  
  衣笠の寓居手放す日も近し
     十歳ととせの哀歌も幻と化す 成秋
 濱野会長の作。衣笠にある別邸を手放されるお気持ちを詠まれた歌。家とともにそこで過ごした思い出も失われてしまうような気持ちになってしまう。家だけでなく長く愛用した物や形見など過去を思い出させる物であればみなそうであろう。自分の人生の一部が欠けてしまうように感じて悲しくなる。しんみりした調子で心に余韻が残る秀歌である。濱野会長は俳句も一句詠まれた。
  
  薔薇一輪咲いて衣笠売りて去る 成秋
 
  夫婦じアない夫婦以上のカップルの
     声弾みおり朝の食卓 和子
 
 作者は清水和子さん。ホームにお住まいの清水さんが朝の食堂の光景を詠まれた歌。ホームには、伴侶を亡くされひとりで入居されている方で、ここで知り合ってカップルになられた方がいらっしゃるそうで、「夫婦じアない夫婦以上のカップル」とはその方がテレビのドキュメンタリー番組の取材の際に自ら語った言葉とのこと。筆者は高齢の方が暮らすホームにどこか静かで暗い印象を持っていたが、明るくはつらつとした入居者の姿を描く清水さんの歌を拝読し、ホームのイメージが変わった。
 
  蓮華はすはなの薄紅白く移ろひて
     待ちたるのみや散りて枯るるを 裕二
 筆者の作。家の近所の公園に咲く蓮の花を見て詠んだ一首。蓮の花は早朝に開き、夜には閉じるが、わずか四日で散ってしまう。花の美しい紅色は一日ごとに薄くなり、四日目にはほぼ白色になる。紅色の花に混じって咲く白色の花は午後には散る。自然の摂理とはいえ、どうにも切ない。
 
  夫忍び保安林保護呼びかけむ
     故里の海永遠とわあおさを 艶子
 
 作者は桜井艶子さん。櫻井さんのご主人は生前よく寄付をされていた。若い世代の助けになればと地元の高校の保安林にも助成され、その森が三浦の海さらに世界の海を守ってくれることを祈っておられた。保安林を守るために高校では生徒のクラブ活動の一つにしようとするが、活動費不足が問題となっている。現在、櫻井さんは保安林の整備のための資金を集める募金活動に協力されておられ、お話を伺って歌の意味がよく理解できた。
 
  鶯の声がしきりに響く朝
     まねして口笛吹きて返せり 良江
 作者は玉榮良江さん。自然豊かな三浦では鶯の鳴き声がよく聞こえてくる。この歌の状況がよくわかると皆さん仰る。美しい鶯の鳴き声を聞けば、真似して口笛を吹いてみようと誰もが一度は思うのではないだろうか。玉榮さんのお話では、実際に真似をしたら、鶯が近くまで来たそうで、その時初めて鶯を間近でご覧になり、色は茶色だとは聞いていたが本当にその通りだったとのこと。岩手県の民謡「南部茶屋節」に「声はすれども姿は見えぬ藪に鶯声ばかり」という一節がある。英語では鶯はジャパニーズ・ブッシュ・ウォーブラーと言い、ブッシュ・ウォーブラーとは「藪でさえずる鳥」といった意味である。鶯は警戒心が強くめったに姿を見せないというが、それを呼び寄せる玉榮さんの口笛の腕前には驚きである。
 
 歌会で皆さんのお話をうかがい作品背景などを知ると、三十一文字で思いや感情をいかに表現したのかがわかり勉強になる。テーマ、リズム、イメージを効果的に作用させる言葉や語順を探すのは簡単ではない。一言変えるだけで歌が劇的に良くなることもあるが、その一言になかなか気づけない場合もある。歌人の皆さんと議論できる機会は大変貴重であり、細心の注意を払ってコロナ禍でも歌会を続けているのは立派だと思う。今回も有意義で充実した歌会となった。
人生を詠う              九州支部長 市川郢康
 
 
 母は昭和34年1月に華道家元池坊より華道教授職1級の免許を取得している。その後亡くなる直前まで裏庭に植えた四季折々の花を使って、お弟子さんたちに生け花の指導に当たっていた。
 
     裏庭に咲く紫陽花は時を超え
        母の思い出尚も匂ふや
 
 母の生まれ故郷八女市星野村では5月の茶摘みが終わると、棚田の田植えが始まる。日本の棚田百選にも指定された星野村の棚田の見学に多くの人が訪れる。
 
     棚田には赤や黄色の曼珠沙華
        暮れる夕日に色づく稲穂
 
 幼い頃過ごした八女市星野村。母の生まれ育った旅館の近くを星野川が流れ、一面の茶畑。夏になると用水路から数多くの沢蟹が現われた。
 
     田んぼへと沢蟹歩む蝉しぐれ
        涼しさ嬉し夏の夕暮れ
 父は筑豊炭田で坑木の仕入れをする係だった。エネルギー革命の煽りを受け、閉山となるまでヤマの男として生きて来た。九州から北海道まで炭鉱を転々とし、そこで僕はボタ山と炭住を見て暮らした。
 
     団扇持ち浴衣姿で盆踊り
        ボタ山見える炭住広場
 
 令和3年6月16日、大阪府寝屋川市に住む義兄が享年78歳で亡くなった。長年小学校の校長を務めた。子供の教育に全力を注いで責務を全うした人物だった。
 
     涙ぐむ教え子の髪白くとも
        義兄の御教え永久に生きなむ