日本浪漫歌壇 冬 睦月 令和四年一月二九日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 一月は一年で一番寒い月である。気象庁によれば、昨年の一月の東京の平均気温は五・四度だが、今冬は全国的に例年より気温が低くなると予測されている。寒さの苦手な筆者は天気予報で最高気温が一ケタになっているのを見るだけでも身震いしてしまうが、北海道は別格でそんな時には軒並みマイナスになっている。日本の最低気温の記録は、一九〇二年一月二五日に旭川で観測されたマイナス四一・〇度である。マイナス四〇度に達したのはこの一度きりである。子供の頃に見たテレビCMを思い出す。マイナス四〇度の極寒でもエンジンオイルが滑らかな状態であるのを見せるCMだったが、一度見たら忘れられない凍ったバナナで釘を打つシーンがあった。実際に日本でマイナス四〇度の世界があったとは驚きである。今年最初の歌会は、晴れて穏やかな陽気となり気温も一〇度を超えた。昼間だけでも暖かいとありがたい。
 
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、一月二九日の午後一時半より民宿でぐち荘で開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、嘉山光枝、玉榮良江の三氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長と岩間節雄氏、滿美子氏のご夫妻、河内裕二が参加した。三浦短歌会の加藤由良子、嶋田弘子、清水和子、櫻井艶子の四氏と加藤さんのご友人の田所晴美氏も詠草を寄せられた。
  コンビニのバイクの横で仁王立ち
     飯食む若者吐く息白し 由良子
 
 作者は本日欠席の加藤由良子さん。コンビニの駐車場で腹ごしらえをする若者を描写した歌であるが、実際に寒い朝にコンビニで目にした光景を詠まれたとのこと。若いとは素晴らしいなと思われたそうである。
 
 コンビニに停めたバイクの横でおにぎりかパンかにかぶりつく元気な若者の姿がまず浮かび、さらに吐く息が白いことから寒い早朝だと想像させる。仲間とツーリング中にコンビニに立ち寄ったのだろうか。ツーリングを楽しむ元気な若者たちには、朝の寒さなどまったく問題にならない。青春である。この歌は、言葉の選び方と順序が秀逸で、映像作品を見ているような展開と情感を与える描写になっている。
 
  房総の山並み眺む人多き
     初日昇れば拍手し拝む 光枝
 
 嘉山光枝さんの作。嘉山さんは、房総半島の山々から昇る美しい朝日の見られる絶景の場所をご存じで、毎年そこに行って初日を拝まれる。知る人ぞ知る場所であったが、最近は知る人も徐々に増えて、元旦には人が集まるようになった。今年の元旦は晴天で雲もなくとてもきれいな初日が見え、以前ならば歓声が上がるところだが、今年はコロナで皆がマスクをしているため拍手が起こったそうである。今年最初の一月の歌会にふさわしい一首である。
  古里に帰りて思ふは繰り言ぞ
     時世ときよの渦に浮きつ沈みつ 成秋
 
 濱野会長の歌。ふるさとに帰ると過去のことを思い出し、ともすればあの時はこうすればよかったと繰り言になり、時世の移り変わりの中で様々なことがあったとしみじみ考えてしまうとのこと。ふるさとはすっかり都会化して変わり果ててしまい、今では懐かしいのはお墓だけ。自分も変わりふるさとも変わって、いったいどこに思い出のよすがを求めればよいのかわからないと寂しくおっしゃったのが印象的であった。三浦で生まれ育ち現在も暮らす嘉山さんは、ふるさとがあることがうらやましいとおっしゃる。濱野会長はもう一首ふるさとの歌を披露された。
 
  古里の盆の太鼓は哀しけれ
     路ゆく人のみな変わり居て 成秋
 
 ふるさとの河内音頭も昔は勢いがあったが、今では昔のように歌える人もいなくなり、遠くからプロを呼んでなんとか開催している有様だと濱野会長。ふるさとはいつまでも変わらないでほしいと思うのは上京者である筆者も同じである。
 
  太陽の電池に動くパンダたち
     冬日を受けて活動開始 尚道
 作者は三宅尚道さん。上野動物園のパンダが話題になっていたので、パンダを玩具に例えたのかと思ったら、実際にご自宅にあるパンダの人形について詠ったそうである。この歌では「パンダ」と「冬日」がキーワードだろう。犬や猫では面白くない。容姿も存在もユニークなパンダが数頭、冬の弱い日差しのためにパワー不足でゆっくりと動いたり止まったりする様子を思い浮かべればこそ、機械的な人形にコミカルながらもペーソスが生まれる。この効果も計算して描写されているのはさすがである。
  
  ふるさとの駅の静寂しじまに降り立たば
     名残の空に風花の舞ふ 裕二
  
 筆者の作。新型コロナの影響で愛知の実家に帰省できない日々が続いたが、大晦日に数年ぶりに戻ってお正月を実家で家族と過ごすことができた。愛知の南の方なのでめったに雪は降らないが、駅に着いた時に珍しく雪が舞っていた。「名残の空」とは大晦日の空を表す言葉で、翌日の元旦の空は「初空」とか「初御空」という。同じくふるさとを詠んだのにこの歌とは対照的で自分の歌は何とも屈折していると仰ったのは濱野会長である。
  
  「さあ打つぞ」旗をめざして心飛ぶ
     ボールはオレンジラッキーカラー 和子
 本日欠席の清水和子さんの歌でグランドゴルフについて詠まれている。清水さんは一年ほど前からグランドゴルフのサークルに参加され、週二回の練習をとても楽しみにされているとのこと。歌を拝読すると、元気にボールを追いかける清水さんのお姿が目に浮かんできて、観衆になったような気になり、思わず「清水さん、がんばって」と声をかけたくなる。当短歌会の最年長者が詠んだとは思えないような躍動感のある作品である。元気の出るビタミンカラーのオレンジがラッキーカラーというのも清水さんにぴったり。筆者はグランドゴルフを全く知らないが、三宅さんによるとゴルフの簡易版とのことなので、近所の公園で時々見かけるゲートボールのようなチームプレイではなく、個人で戦うのだろう。楽しそうだ。
 
  沖縄の海岸に住むアヒルの子
     ラインにて観る名前はガーコ 良江
  
 作者は玉榮良江さん。玉榮さんは沖縄のご出身。ご実家の前の海岸にアヒルが住み着いていて、一羽だったのがいつの間にか三羽に増えたそうである。アヒルは池や川などの淡水域に生息するイメージがあるが、雑食なので海岸でも大丈夫なのだろう。アヒルの子の名前が「ガーコ」とはいかにもで、常套になりそうなものだが、アヒルの持つどこかコミカルでとぼけた感じが逆に出て効果的になっている。アヒルには「刷り込み」という初めて見た動くものを親だと思う性質がある。親アヒルの後をついて行くガーコの姿を想像したりすれば、なんとも微笑ましい気持ちになる。
  来し方を想い眺めるわが心
     清々せいぜいとした天に預ける 滿美子
 
 岩間滿美子さんの歌。元旦は素晴らしいお天気だった。年が明け、これまで自分がやってきたことを自ら認めようかどうかとあれこれ考えていると、これからはその清らかな天にすべてを預けて生きてゆけばよいのだと思われたそうである。目の前の青空のように、心にかかっていた雲が消えて晴れやかになられたのが伝わってくる。諦めではなく、心の迷いが解けてありのままを受け入れられそうなお気持ちになられたのだろう。しかし複雑なのは、作者がなにかそう自分に言い聞かせているようでもあり、到達された境地にどこか「揺れ」のようなものを感じてしまうのは筆者だけであろうか。
 
 石川啄木の『悲しき玩具』に次のような歌がある。
 
  年明けてゆるめる心!うつとりと
     来し方をすべて忘れしごとし 啄木
 
 来し方は人生の一部であり、消し去ることなどできない。岩間さんのようにそれを受け入れるという気持ちも、啄木のようにせめて正月ぐらいはそれを忘れてという気持ちもどちらも理解できる。誰もがその両方で揺れ動いているのではないだろうか。
  あの頃の「任せておけ」というガッツ
     いつのまにやら空の彼方か 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。今回は残念ながら欠席された。この歌は自分のことを詠まれたという解釈と、自分にそう言ってくれた人のことを詠まれたという解釈が出て、ご本人がおられれば伺えたのにとなった。どちらでも読者が自由に解釈すればよいと思うが、筆者は、嶋田さんが女性で「任せておけ」という台詞や「ガッツ」という言葉が男性的であることから後者であると考える。嶋田さんのご主人がご病気をされたと伺ったことがあるので、ご主人のことなのかもしれない。かつて元気でたくましかった夫が病気で気力も弱くなってしまい寂しく思われて詠まれたのだろうか。筆者は「空の彼方か」は嘆きだと解釈した。
 
  はらはらと初雪の降る嬉しさに
     八十路超えても幼子のごと 艶子
 
 本日欠席の櫻井艶子さんの作。雪国ではうんざりするだろうが、そうでない地域ではこの歌のように雪が降ると多くの人は何だか新鮮でうれしい気持ちになるのではないか。
 
 初句の「はらはら」という擬態語が議論になった。雪にまつわる擬態語としては「ちらちら」「はらはら」「しんしん」「こんこん」などが思いつく。濱野会長が斎藤茂吉の歌に言及された。
  現身のわが血脈のやや細り
     墓地にしんしんと雪つもる見ゆ 茂吉
 
 やがて自分も墓に入るだろうと思いながら雪がしんしんと降るのを見ている茂吉の歌は秀逸だが暗い。櫻井さんの歌は明るくて救いがあると濱野会長は仰る。並べてみるとよくわかるが、同じ雪でもやはり櫻井さんの歌は「はらはら」、茂吉の歌は「しんしん」でないとしっくりこない。「はらはら」にどこか違和感をもたれた方もおられたが、それはコロケーションのためかもしれない。「はらはら」の場合、「降る」よりも「舞う」という言葉と使われることが多い。
 
  コロナ禍に追い打ちかけるオミクロン
     備えし武具の盾にて守る 晴美
 
 田所晴美さんの作品。戦国の世の雰囲気を醸し出すような言葉の使用が工夫されていて個性的な歌である。「備えし武具の盾」とはワクチンのことか。「追い打ちかける」も戦にまつわる言葉で上句と下句がつながっている。小さすぎて電子顕微鏡を使わないと見ることはできないが、コロナウィルスの表面にはスパイクと呼ばれる無数の突起があり、なるほどあのトゲトゲの姿は甲冑のようにも見える。まさに戦か。視覚的イメージを膨らませて詠まれた歌なのかもしれない。
 歌会を終えて別室に移り新春の宴を催す。地の食材を活かしたでぐち荘さんのお料理にはいつも感動する。うかがったところでは出来合いのものは一つもなくすべて手作りされているとのこと。お漬物ひとつにしてもやさしい味がする。立派な活きあわびをバター焼きにしていただく。一匹まるごとの活きあわびなどなかなか食べられない。筆者は、あわびは刺身よりも焼きの方が柔らかい食感で好みである。極上の味。お刺身、なまこの酢の物、金目鯛入りの鍋、牡蠣、さざえの壺焼き、エビフライに茶碗蒸しなどどれも美味しい。シンプルなふろふき大根も絶品だった。品数も多く盛りだくさん。食べきれない場合には持ち帰るためのパックまでいただける心配りがうれしい。
 
 お腹も心も満たされてでぐち荘を出ると、西の空は茜色に染まり夕日が沈みかけていた。小さい頃に聴いた童謡「夕日」では、夕日が沈む擬態語は「ぎんぎんぎらぎら」だった。たしかに海面に映る夕日などは波に揺れて反射してそんな感じだろうが、いつも海を見ているとは限らない。では、どんな擬態語がよいだろうか。残念ながらよい語が思いつかなかった。擬態語や擬音語もうまく使えば歌に彩りが加わり効果的なことを今回の歌会で学んだ。
日本浪漫歌壇 秋 霜月 令和三年十一月二七日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 毎年十二月になると清水寺でその年を表す漢字が発表されるが、アメリカでは辞書大手のメリアム・ウェブスターが、十一月中に英語の「今年の言葉」を発表する。今年は「ワクチン」であった。言われてみれば納得である。昨年がパンデミック(感染症の世界的大流行)だったので、二年連続で新型コロナ関係の言葉が選ばれた。それほどコロナが世界に与えた影響は大きい。短歌でもコロナを題材とする作品は多い。来年こそは明るい言葉が選ばれることを願いたい。
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、十一月二七日の午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、玉榮良江の六氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長と河内裕二。新メンバーとして岩間節雄氏、滿美子氏のご夫妻が参加された。三浦短歌会の櫻井艶子氏も詠草を寄せられた。
 
  サッカーのボール背負いて登り坂
     脱兎のごとき少年の秋 由良子
 
 加藤由良子さんの作。十一月三日、文化の日の晴れ渡った午後に、サッカーボールを背負って急な坂道を元気に駆け上がっていく小学生を偶然目にされた。坂道の上から差した秋の日を浴びて脱兎のごとく駆けていく姿に、前途ある少年をうらやましく思われたそうで、その時の情景を詠まれた歌である。
 少年の若々しさを独特な表現を用いて伝えている。全体として情報がうまくまとまりバランスが保たれる言葉と語順が選ばれているのが見事である。
  小六の孫より電話声弾み
     修学旅行「行けるんだよ」 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。新型コロナの影響で、学校行事はみな延期や中止になっていて、修学旅行も実施が危ぶまれたが、行けることになり、その喜びを伝える電話がお孫さんからかかってきた。「小六」なので初めての修学旅行、しかも半ば諦めていただけに喜びもひとしおであるのが、歌から伝わってくる。お孫さんの弾む声が聞こえてくるようで、誰もが「本当によかったね」と言ってあげたくなる。読んで優しい気持ちになれる歌である。
 
  秋空やセピアの記憶たゆとうて
     ラインダンスの靴音くつおと高く 艶子
 
 本日は欠席の櫻井艶子さんの歌。加藤さんのお話では、櫻井さんは実際に昔ラインダンスをされていたとのことなので、そのことを思い出されて詠ったのだろうか。ラインダンスの躍動感を出すために、上句はどこか抽象的で静かなイメージにし、下句が具体的で動的なイメージになっているため強い印象と余韻が残る。
 
  父母ちちはは御影みえいこわし若きまま
     今宵は何処いづくと目が問ひ給ふ 成秋
 濱野会長の作。この歌のユーモアに会場が明るい雰囲気となった。御影のご両親の目線が作者に今夜はどこに行くのかと言っているという歌だが、「怖し」という言葉が効果的である。御影のご両親が現在のご自身より若いという事実と遊びに行くことを見抜いているような印象により、亡くなってもまだご両親の影響力は健在であるかのような不思議な空気感が漂う。この歌から伝わってくるのは、作者はいつもご両親のことを思い、亡くなられたご両親はいつも作者のことを見守られている家族愛である。
 
  病床の父我を見たまなざしは
     確かにあれは眼施と云うなり 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。入院されていたお父様のことを詠まれた歌。嶋田さんは入院中のお父様を毎日訪問されていた。ある時、気管切開をして話すことのできないお父様が、帰宅する嶋田さんをとても優しいまなざしで見られたことがあり、嶋田さんにはその目が「ありがとう」と言っている気がした。お父様のそのようなまなざしを見るのが初めてだったのでずっと覚えておられ、後に仏教の本を読まれた際に、「無財の七施」の一つである眼施を知り、あのお父様のまなざしは眼施であったと思われたそうである。三宅さんのご説明では、仏教には「無財の七施」といわれる七つの施しがあり、その一つ目が眼施で、優しい眼差しで人と接することである。
  
  いはれなに回り道せり黄昏の
     われ迎へてや銀杏散り敷く 裕二
 筆者の作。たまたま回り道をすると、銀杏の葉が落ちて道が黄金色の絨毯を敷き詰めたようになっていた。その美しい光景を見て詠んだ歌であるが、自分の人生も重ね合わせた。「謂れなに」は理由もなくという意味であるが、ややわかりにくいというご意見があった。
  
  東名の高速道路は工事中
     海老名SAすでに渋滞 尚道
  
 作者は三宅尚道さん。ラジオの道路情報で高速道路の工事情報が繰り返されていたが、用事で出かけてみたら渋滞していたという歌である。作者の三宅さんによると、短歌には深い意味が込められた作品もあるが、とくに意味のない歌があってもよいのではないと思って詠まれたとのこと。
  
  ボタン穴一つ一つを見つめつつ
     姉が手編みしカーデガン着る 和子
 
 清水和子さんの歌。編み物が好きだったお姉さまが編んでくれたカーディガンは、ボタンの穴も一つひとつ丁寧に作ってあり、それを見ると姉さまの心に触れる気がして、ずっと見つめてしまうと清水さんは仰る。お姉さまのことを思って詠まれた心に響く歌である。
  石蕗の花咲き始め故郷の
     野路のみちを想ふ祖母と歩みし 良江
  
 作者は玉榮良江さん。美しい情景の浮かぶ歌である。四句「野路を想ふ」と結句「祖母と歩みし」の順序が議論になったが、連想された順に並べることで、読者が作者の気持ちにより近づける作品となっている。一緒に歩いたのが祖母であることが温かい気持ちにさせる。
 
  城跡しろあとをもとほりけばたましぐれ
     黒きはだか吾に問ひかけ 滿美子
 
 岩間滿美子さんの歌。作者の岩間さんは衣笠城のすぐ近くにお住いになっている。あるとき城跡を歩いていると雨が振り始めた。衣笠の戦のことをご存知の作者には、その雨は亡くなった人の御魂が時雨のごとく降っているかのようで、見上げれば葉が散って黒くなった枝が自らに問いかけてくるという岩間さんならではの感覚で詠まれた素晴らしい歌である。
 歌会を終えてカフェ・キーに移動する。お茶をいただきながらしばし歓談し、お店を出るころには外はすっかり暗くなっていた。
 今回も皆さんの作品に触れ、短歌の奥深さを再認識した。それぞれ生活の中の一瞬を切り取ってもこれほどまでに個性が出るものかと思った。自分とは違う視点や発想にはいつも驚かされるが、知らない言葉や使ったことのない言葉が使われていると印象に残る。岩間さんの「魂しぐれ」や「黒き裸枝」などは言葉として新鮮だった。「魂しぐれ」は造語であると聞いて、前回の歌会で出てきた井上陽水の「少年時代」の歌詞を思い出した。曲の始まりの歌詞の一節に「風あざみ」とあり、植物に詳しくない筆者はどんなアザミなのか調べてみると、「風あざみ」など存在せず、井上陽水の造語であることがわかり驚いた。言葉が醸し出すイメージや響きが曲の雰囲気そのものである。造語表現は非常に高度な技法であるが、成功すればその新鮮な言葉が歌をこの上なく豊かなものにしてくれる。今回の歌会も大変勉強になった。
日本浪漫歌壇 秋 神無月 令和三年十月十六日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 「読書の秋」という言葉がある。言葉の由来とされる韓愈の漢詩の一節「灯火親しむべし」は「秋の夜は灯りをともして読書するのにするのにふさわしい」といった意味で、『大歳時記』によると江戸時代の俳人により引用され使われ始めたとのことである。なるほど火を灯した明かりの下で読書するのに、夏の暑さは堪えただろう。暑さが一段落し、夜も長くなる秋が本を読むのに最適としたのも納得である。歌を詠むのも同様で、涼しくなった秋が集中できてよい。十月も中旬となり歌会当日は過ごしやすい秋の日となった。
 今回の三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会は、十月十六日の午後一時半より三浦勤労市民センターで開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、櫻井艶子、嶋田弘子、玉榮良江の六氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長と河内裕二。三浦短歌会の清水和子氏も詠草を寄せられた。
 
  コロナ解けわずかに残れる中学の
     クラス会あり久しい便り 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。コロナ禍の現在は内容が非常によく理解できる歌。クラス会で級友に会える喜びと参加できる人が少なくなった寂しさの混在する気持ちを詠んだ味わいのある一首である。
  人世ひとよ老ひかぼそきかひなで野分け戸を
     閉めていかづちしっぽり想ひて 成秋
 
 濱野会長の作。台風が来るので自分の老いさらばえた腕で雨戸を閉めると外で雷がなっている。その状況に会長はお母様が三味線を習ってきて歌っていた俗謡を思い出されたそうで、雷さんが戸を閉めてふたりしっぽりという歌詞があり、下句はそこからとのこと。調べてみると「新土佐節」という座敷歌で次のような歌詞である。
 
  雷さんは粋な方だよ 戸を閉めさせて
  二人 しっぽり 濡らした 通り雨よ
  そうだ そうだ まったくだよ
 
 歌からだけでは読み取れないが、濱野会長のお母様への思いも込められた一首である。
 
  きぬかつぎ茹でて塩つけ食すれば
     旬の小芋はやっぱり旨し 光枝
 嘉山光枝さんの歌。きぬかつぎとは里芋を皮のまま茹でたもので、この時期に里芋の小芋が旬で美味しいと詠まれている。嘉山さんは食にまつわる歌を多く詠まれるとのことだが、食文化という言葉があるように、食は民族や地域を特徴づけるものであり、何をどのように調理してどのような作法で食べるのかはまさに歴史や文化そのものである。
 
  秋めいた風の音 聞くラジオより
     「少年時代」たびたび流る 尚道
 
 「少年時代」は一九九〇年にリリースされた井上陽水のヒット曲である。この曲を知らないと歌の意味するところがわかりにくいのではと言うのは作者の三宅尚道さん。「夏が過ぎ風あざみ」という歌詞で始まる「少年時代」は、歌詞から判断すると、過ぎ去ってしまった夏の思い出に浸る「私」のことを歌っているが、この曲は秋になるとラジオ等でよくかかるそうで、これを聞くと秋になったと実感されるのだろう。さらに古今和歌集に収められている藤原敏行朝臣の次の一首も念頭に詠まれたとのこと。
  
  秋来ぬと目にはさやかに見えねども
     風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行朝臣
  
 紅葉や月などを見て秋を感じることが多いが、三宅さんは風の音やラジオから聞こえてくる曲を聞いて秋を感じている。作者の豊かな感受性を表す一首である。
  夕暮れに月下美人を褒められて
     娘と思うか落ちつかぬ夜 和子
  
 本日は欠席の清水和子さんの作品。月下美人の花は夕方に咲いて一晩で散ってしまう。この歌は、育てている月下美人の花が咲いたことを歌ったのか、それとも何かの例えだろうか。「娘」の解釈が参加者の間で議論になった。「娘」というのは月下美人のことで作者は月下美人を娘のように思っているという解釈と「娘」とは作者自身のことで月下美人を褒めてくれた人がまさか自分をそんなふうに思うのかと何となく落ち着かないという解釈である。どちらの解釈が正解なのかではなく、想像をかきたてて様々に解釈できることがこの歌の魅力である。
  
  晩秋の道に落ちたるどんぐりの
     行く末われに重なりて見ゆ 裕二
 
 筆者の作。秋も深まりどんぐりが道に落ちて転がっている光景を目にして詠んだ歌。土の地面に落ちればやがて芽を出すのだろうが、ほとんどが舗装された道路に落ちて通行する人や車に踏まれている。わずかに道の隅でひっそり難を逃れるものや道の真ん中でも無傷のままの強運を持つものもいて、どこか人の世を見ているような感じがした。
 歌に非常に寂しさが出ていて、参加者の中で一番若い筆者が詠んだことに皆様は少し驚かれた。整った歌であるというご意見をいただいた。
  コロナ禍の新しいままの靴履いて
     半歩踏み出す青天だから 弘子
  
 作者は嶋田弘子さん。母の日に娘さんから靴をもらったのに、コロナ禍でどこにも行けずに長く下駄箱に入れたままになっていた。緊急事態宣言が解除になり、台風一過で晴天になった日に、ようやくその靴を履いて出かけようという気持ちになったが、コロナが収束したわけではない。不安は消えず、まだ一歩は出られない。コロナ前のようにはいかない気持ちを「半歩」という言葉に込められた。
 コロナ禍でどこにも出られないことを新しい靴で表現するのが秀逸であるという意見が出た。
 
  台風に打たれて濡れしゴーヤーの
     実は残りをりふとらぬままに 良江
 
 家庭菜園をされている玉榮良江さんの作。日照不足と雨が降り続いたことで育てていたゴーヤのできが悪く、その状況を写生した歌である。ゴーヤの収穫期は七月から九月頃までだが、最後の収穫が残念な結果となったのだろうか。ゴーヤはその苦さのためか野生動物に食べられることもなく天候がよければ立派な実が収穫できる。実が痩せて軽いために台風に見舞われても落ちずに残っているのが切ない。ゴーヤを他の野菜にしてしまってはこの哀愁は出ないだろう。
  雨風に秋の訪れ聞きし日は
     夫のぬくもりおぼろなつかし 艶子
 
 作者は櫻井艶子さん。ご主人が亡くなって三年が経過し、最近はよく思い出されるそうで、秋が来て寂しい気持ちになったときにご主人の優しさを思い出されて詠まれた歌である。十年ほど前にご主人を亡くされた嘉山さんは、亡くなって三年ほどは思い出が濃く詰まっていて、それからだんだん薄れていくとご自身の経験を語られ、この歌がよく理解できると仰った。「おぼろ」は春の季語なので秋の歌に使うことを櫻井さんは気にされたが、短歌なので問題はないということに。
 
 今回の歌会では、三十一音の定形で情景と心情を表現する難しさを改めて実感した。しかしその制約ゆえに言葉や内容が集約され深みが出る。氷山のイメージが浮かぶ。氷山の一角から隠れている大きな部分を想像する。表層を理解するだけでは核心には到達できない。歌から広がっていく世界に包まれ、作者の思いに共鳴する。千三百年も続いてきた短歌の定型がそれを可能にしている。よい作品に触れ、本日も充実した一日であった。
『白亜館の幽霊』作者  濱野成秋
 
 
 ワイルドの『サロメ』は出版後百年を経ても読者の憑りつく魔物である。僕には2度にわたって憑りついた。最初は大学1年のころ、まだ僕が大阪から東京に出てきて間がない少年だった。血の滴り落ちる男の生首に接吻するサロメはサドの典型だった。グロの極致でもあった。三島好みの死への憧れというか、嗜虐愛の典型に見えた。
 その頃、僕はアイスキュロスの「アガネムノン」とか「エレクトラ」、エディプス王」に憑りつかれ、ソフォクレスやエウリピデスなど、ギリシャ悲劇の延長線上にこのユダヤ王エロデ一族を見据えて、家族の相克もここまで至る凄さに驚いたものだ。
 ところが今回は19世紀末にアメリカに生きた作者オスカー・ワイルドがなぜ世紀末にこれを書く気になったかに焦点が当たった。たまたま近々出版予定の私の長編『白亜館の幽霊』とも関連してくる。主人公が内在させる霊魂と真正面から取り組みながら、自分の出自が不確かで、見極められず悩む現代っ子の女性の彷徨いの姿を描き出した、その最中の精読だったから、解釈はおそろしく異なる。それに期せずして自分の描く主人公も出自については悩み、惑う。サロメのように。
 サロメは貴族の末裔だが、エロディアスと前夫との間に出来た子。母はエロデと結ばれるために、その兄であった夫を殺したらしい。
 
 この設定はシェークスピアの『ハムレット』に登場するハムレットの母ガートルードと同じ。素性が悪い。体内には穢れ汚れた血を流すユダヤ娘だと知る預言者ヨカナーンは、彼女を「バビロンの女」だと呼んで蔑み、彼女の行く末は滅亡の地ソドムだと預言する。
 そんなヨカナーンを呪いつ惹かれるサロメ。
 彼女もまたそんなヨカナーンの肌に惹かれて求愛する。
 他方、母親と結婚したエロデ王は素性の卑しい男で、今ではエロディアスよりもサロメに魅せられ踊れ踊れ、何でも褒美を取らせると迫る。
 これは近親相姦の罪である。
 こうなると、このエロデ王一族はとてつもなく罪な存在となり、それを知るヨカナーンが殺されて、その首を欲しいと言ってきかないサロメはその生首に抱擁する。
 私の作品にはヨカナーンは登場しないが、この預言者が囚われていたという水牢は現に衣笠城には存在する。つまり、筆者が言いたいのは、学生時代にワイルドを読んだせいかどうかは知らねど、登場人物が皆それぞれに業を背負って迷妄することだ。
 僕の主人公はサロメのように生首を欲しがらない。だが自分の中に流れる忌まわしい血を持て余している。
それはワイルド自身でもあり、私自身でもある。