格言 「親の言葉は自分の永遠」

葉山カフェ・テーロにて 濱野成秋

 
 戦前は「親孝行」を徳目の第一に挙げていたが、現在は、個人主義のエゴを良しとする風潮からか、自分が第一であり、自分が幸せを求めて、何が悪い、となる。だが、高齢で己が肉体が果てる時、何も残らないと気づいて後悔する向きがつよい。自分の努力など消えて当然とあきらめるか? 肉体は枯れ果てた庭木と同じだが、百年程度しかもたない自分の心も思い入れも、一緒にくたばることになる。
 
 高齢の親はそれを知っている。だから筆者のように著書を遺す。自分史ではないが、著書の大半はそのたぐい。若い息子はそれをうざったいとガラクタ同然に処分してしまうかも。せいせいするからね、一時的に。だが生き永らえてみると自分の存在が怪しくなる。世間の泥沼にどっぷり浸かって、心が飢えて、寒さにふるえて、この先、死ぬしかない運命で。只の、朽ちる肉体でしかない。遺された手段は余命の使い方だけだ。まず温かい飯にありつきたい。それでうろつく。泥沼で、右往左往。…俺は親として哀しむ、その姿を。
 折角、親の愛が言葉となって、君の老後の安定と親自身の君への「心」を遺すために、遺贈した家の中に遺した著書群だから、大事に読んでみてくれ。それをむげに斬り棄てると、一時的解脱感があっても、君自身が徐々に、自分の人生の存在理由も怪しくなりだす。わが子に棄てられる恐怖感も湧いてくる。泥沼のなかで君ら親子がまたもや醜悪な生存競争になる。
 
 だから君、息子よ、しばらくは抵抗感があっても、親の言葉たる著書をとって置きなさい。自分も枯れた庭木にならず、永遠の生の息吹を得られるから。君自身が85歳になったとき、実感するはずだ。
 君、これを読んだ君よ、子孫に立派な言葉を遺しなさい。親の言葉と自分の言葉がちゃんと仏壇にしまわれて、ちゃんと永遠に続くから、未来世代も時々は読んで、蘇生させてくれる。 親があって自分があり、孫子よ、君らがあってこそ、未来に生き、その果てに、僕や君と一緒に、永遠に生きられる。では一足先に逝って待ってるぜ。

河内裕二

日本浪漫学会主筆

 

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日本浪漫歌壇 春 皐月 令和四年五月二十一日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 歌会の開催された五月二十一日は二十四節気では小満と呼ばれる。『大辞泉』によると「草木が茂って天地に満ち始める」という意味である。雨が降ったり止んだりの天気になったが、午後一時半より三浦勤労市民センターに九名が集まった。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の八氏と河内裕二。三浦短歌会の櫻井艶子氏も詠草を寄せられた。
 
  花終へて赤く色づくさくらんぼ
     鳥ついばめば種散乱す 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。ここでいう「さくらんぼ」とは山桜とか吉野桜の実のことで、今の時期はその実を鳥が食べて種を落としていくため、洗濯物を干すのに注意されているそうである。世の中は変わっても自然の営みは変わらず、時が来れば花は咲くし、鳥も飛び交う。そんなお気持ちで詠まれたとのことである。
 
  フロントに花びら四、五片はりついて
     病院帰りのわれを迎へり 由良子
 加藤由良子さんの作。耳が痛くなり心配になって病院に行って診てもらうと、とくに何でもなかった。医師によると、耳掃除をしすぎるとよくないとのこと。ホッとして帰ってきたら車のフロントガラスに桜の花びらが張り付いていた。もしかすると行きにも付いていたのかもしれないが、気にする余裕はなく、帰ってきてはじめて気がついた。その花びらに心が癒やされたとのことで、安堵されたお気持ちを詠まれた。
 
  春よ春 おごれる心はちれて
     上京せしは十八の春 艶子
 
 本日欠席の櫻井艶子さんの作品。櫻井さんは松竹歌劇団(SKD)のメンバーだったそうなので、オーディションに合格して上京された時のことを詠まれたのだろうか。「驕れる心」とあるが、加藤さんは「三浦のような田舎からSKDのメンバーに選ばれて花の東京に行くのはすごいことで、当然自信に溢れ、選ばれし者という気持ちになったのだろう」と仰る。今振り返ると当時のご自身は何故に驕っていたと思われたのだろうか。ご本人にうかがえないのが残念である。「春」が三度も使われて、当時の喜びに満ちた様子が伝わってくる。
 
  喪中なる我も明るきマニキュアを
     つけて歩めば足取り軽し 員子
 作者は羽床員子さん。旦那様を亡くされて半年が経った。暗く沈む心を明るくもっていこうと明るいマニキュアをし、明るい色の服を着たりされているそうで、歌の内容にみなさんも共感された。
 
  初孫の初給料のお誘いは
     大好物のあんかけうどん 弘子
 
 嶋田弘子さんの歌。一読しただけで作者のうれしさが伝わってくる。子供が初任給で親に何かをするというのはよく聞くが、孫となれば喜びもひとしおであろう。嶋田さんは行きつけのお店のあんかけうどんが大好きで、そのことをお孫さんは覚えておられて、初任給が出た際に行こうと誘ってくれたとのこと。高価で気取ったものではなく庶民的な「あんかけうどん」というのが微笑ましいと仰ったのは清水さん。作者だけでなく読者も幸せに包まれる歌である。
 
  いほは仮寝の宿よと天の声
     されどふすまはやはらかぬくきぞ 成秋
  
作者は濱野成秋会長。「天の声」とはもうひとりの自分の声であり、いま毎日寝ている温かい布団は仮住まいに過ぎず、いずれ長い眠りにつくのは冷たい場所だとささやく。このような気持ちになるのは、体が弱かったために子供の頃からいつも死を意識していたことやご両親を案じながら自分の生きる場所を求めて故郷を後にしたことがあるからであり、心地よく暮らす現在の地にあっても「汝が庵は仮寝の宿」と思えてくるとのこと。文学の道を歩む者の心は、安住することのない永遠の旅人のようなものなのかもしれない。
  見つめたるわれの視線を感じてや
     雲に隠れし春の夜の月 裕二
 
 筆者の歌。仕事の帰りなどに夜空を見上げると晴れた日には星や月が見える。星は変わらないが、月は見るたびに「表情」を変える。悲しそうなときもあれば、力強く見えるときもある。先日気持ちが沈んでいたときに見上げた月は優しげで美しかったが、しばらく見ていると雲に隠れてしまった。まるで見つめられて恥ずかしくなったかのようであった。その夜の月を思い出して詠んだ歌である。
 参加者から百人一首の紫式部の歌にどこか似ているというご指摘があった。言われてみれば、たしかにその下句「雲隠れにし夜半の月かな」と似てなくもないが、筆者はただ単純に「雲に隠れた月」を描写しただけで、とくに意識したものではなかった。
  
  杜若池端かきつばたいけはたに立つ人影の
     業平に似て憂いを誘う 滿美子
 
 岩間滿美子さんの作品。根津美術館で開催された特別展「燕子花図屏風の茶会」に行かれて経験されたことを詠まれた。かきつばたの咲く頃になると、『伊勢物語』の主人公とされる在原業平のことを思われるとのことで、有名な尾形光琳の燕子花図屏風を観た後に、美術館の庭園を散策すると、池のほとりに実際にかきつばたが咲いていた。そこにひとりの男性が立っていた。その光景が三河の国の八橋で美しく咲くかきつばたを見て「かきつばた」の歌を詠んだ業平を想像させた。
 
 「かきつばた」の歌とは、句頭に「かきつばた」を置いた業平の次の望郷の歌である。
  唐衣きつつなれにしつましあれば
     はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ 業平
 
  誰も来ぬ一日なれど裏山に
     来たる狸を猫に教はる 尚道
 
 三宅尚道さんの歌。実際のことを詠まれたのだとすれば、狸は夜行性なので、誰の訪問もなく一日が終わろうとしていたところに狸がやって来たのだろう。狸は日本の昔話や民話では人を化かす動物として登場する。近年は、農作物を荒らす招かれざる客としてあまり歓迎されていないようであるが、筆者などは見かけるのが実物の狸ではなく、信楽焼のたぬきの置物ばかりなので、狸に対して勝手にひょうきんでプラスなイメージを抱いてしまう。猫は警戒心から狸の登場を嫌がったのかもしれないが、作者は狸であっても来てくれたことにどこかうれしい気持ちになったのではないか。
 
  ビートルズ流して飛ばした第三京浜
     あの頃のわたし何着てたっけ 和子
 
 作者は清水和子さん。最近目の具合が悪くて手術をされたりして、あまりよいこともなく歌が考えられなかったときに、なぜかふっと浮かんできたとのこと。どうしてこの歌なのかわからないが、ただ、若いときのことはよく思い出されるそうで、それが年をとることなのでしょうと清水さんは仰った。
 流れていた曲も周りの風景もはっきり覚えているのに、自分のことだけは覚えていない。ご自身はお洋服がお好きなのに、なぜかその時着ていた服も思い出せない。歌謡曲の歌詞になりそうな上句は筆者でも思いつきそうであるが、下句は清水さんならではの表現でとても出てこないと思った。
 
 今回の歌会では三宅さんの仰った「感情表現を直接書かずに感情を伝えるのが短歌である」という言葉が印象に残った。というのも、筆者が短歌を始めたばかりでなかなか歌が詠めなかった頃に、濱野会長も同じことを仰ったからである。その時は、つまり論文ではなく小説を書くということかと思い、文学研究者の筆者は少々気が重くなったが、先人の歌を読んだり、歌会に参加して勉強させていただいたりしているうちに、少しずつコツがつかめてきた気がしている。しかしながら清水さんのように、歌が自然に浮かんでくるようになるには、まだまだ作歌が必要である。
日本浪漫歌壇 春 卯月 令和四年四月十六日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 春に三日の晴れなしと言われるが、歌会当日は前日の雨も上がり晴天となった。四月十六日午後一時半より三浦勤労市民センターで三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会が開催された。出席者は三浦短歌会の三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、羽床員子、日本浪漫学会の濱野成秋会長、岩間滿美子の八氏と河内裕二。三浦短歌会の清水和子、櫻井艶子の二氏も詠草を寄せられた。
 
  星のふる観覧車で吹く早春賦
     オカリナ聴きし友も逝きたり 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。以前オカリナに夢中になった時期があり、いつでも持ち歩いて時間があるとオカリナを吹いていたとのこと。ある時ご友人とご一緒に出かけられ、帰りが遅くなった際に、ご記憶ではお台場だそうだが、観覧車の中で皆さんとの思い出に早春賦を吹いた。そのオカリナを聴いてくれたご友人ももう二人も亡くなってしまい、加藤さん自身も今ではオカリナを吹くこともなくなってしまったそうである。
 
  一人旅初体験の孫待てば
     駅降り立ちて手をふり笑顔 光枝
 嘉山光枝さんの作。お孫さんが春休みに遊びに来られたことを詠まれた歌。いつもご両親の車で来られていたお孫さんが、初めて一人で電車を乗り継いでやって来るため、嘉山さんは心配してドキドキされたが、お孫さんは車中で風景の動画撮影を楽しまれ、まったく平気だったとのことである。上句から嘉山さんの、下句からはお孫さんの気持ちや様子が伝わってくる。
 
  芳春の喜びさへも消し去りぬ
     異国の街に砲弾の雨 裕二
 
 筆者の歌。「芳春」とは花ざかりの春のこと。ロシア軍による侵攻でウクライナの街が破壊され、多くの犠牲者が出ている。歌を詠むに当たって、まずウクライナのことを考えたが、過去から現在に至るまで戦争が起きればいつでも同じく悲惨な状況になるという思いから固有名詞は使わなかった。
 
  在りし日にそっと作りし品々よ
     何処いずこに消ゆるこの身の後は 弘子
 
 作者は嶋田弘子さん。嶋田さんはものを作るのがお好きで、縫い物をしたり木像を作ったりいろいろされている。「そっと」という言葉によって、誰に見せるのでもなく丁寧に一生懸命心を込めて作っていることを表現される。自分が作ったものや大切にしているものも、他人にとっては何てことのないものであり、自分が亡くなったらそれらはどうなってしまうのだろうかと思われ、どこか寂しい気持ちで詠まれた歌である。
 母の時代に戻りて
  の便り受くるも苦界ぞ包みたる
     つぼみの梅が枝咲かせと乞うや 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。「香の便り」とは色里から来た香水のにおいのする手紙で、夫が居ないときにそれを受けて開けた妻も色里ではないがやはり苦界である。「梅が枝」は梶原源太景時の長男景季かげすえの側女が遊女として名乗った源氏名で、彼女が体を売ったお金で景季が戦に出るための鎧などの武具を揃えたという話がある。下句は、貢いで支えているのは他でもない私だと梅が枝が正妻に対して主張していると読める。濱野会長によれば、このような痴話喧嘩は戦中や戦後には何度もあり、先生のお母様も辛い経験をされたとのことで、詞書きにあるように、この歌はお母様の気持ちになって詠まれたものである。
 
  立つ瀬なき我が身の上の苦しきに
     春の宵なる月を眺むる 滿美子
  
 岩間滿美子さんの作品。ご自身を見つめられた歌であろう。上句の苦しい状況に対し、下句の美しい春宵の情景。「春宵一刻値千金」という言葉もあるように、春の宵は趣があって素晴らしい。初句の「立つ瀬」という言葉で意識や視線が足元の下方に向くが、結句「月を眺むる」では一気に上を向く。おそらく心の動きも表しているであろう。
 
  「いん」の字を「かず」と読む人増えしかも
     大河ドラマの比企能員見て 員子
 作者は羽床員子さん。ご自身のお名前を「かずこ」と読んでもらえたことがなく、高校の歴史の授業で武将の比企能員の名前を初めて見たときに、自分の名前があると思われたそうである。現在放送されている大河ドラマに比企能員が登場し、とてもうれしくなって詠まれたとのことである。
  
  シベリアに送られ戻りし人の短歌うた
     再び読めりロシアの戦争 尚道
 
 三宅尚道さんの歌。三宅さんのご両親の世代はみな戦争体験者で、お知り合いには実際にシベリアで抑留された方もおられる。その世代にはシベリア抑留体験を歌にされた人たちがおられ、その歌を読むとロシアの行動は昔も今も変わらない気がしたとのことである。
 
  安定剤心も体も支配して
     ほんとの自分はどこにいるのと 和子
 
 作者は本日欠席の清水和子さん。三宅さんによれば、清水さんのこの歌は、目を手術され、術後に安定剤の薬を飲まれたときの状態を詠まれたものとのこと。
 
  春浅く夕日輝き波寄せて
     鴎鳴くなよ、過ぎし日うつつ 艶子
 本日欠席の櫻井艶子さんの作品。結句「過ぎし日うつつ」は「過ぎ去った日が現実となる」といった意味でしょうか。そうだとすると、夕日が沈む美しい海の風景と結句がどのようにつながるのか。ご本人に伺えないのが残念である。
 
 短歌は五七五七七の五句三十一音で構成されるが、短歌の調べが保たれていれば、字余りや字足らずでもとくに問題はない。筆者は思い浮かんだ言葉が字余りや字足らずの場合は、別の言葉に置き換えて何とか定型に収めるようにしている。定型であれば、少なくとも音の調子は整う。歌会で拝読する皆さんの歌の中には時に字余りの歌もあるが、どれも自然な調子で違和感がない。内容も含めて全体でバランスがとれているからだろう。ぜひ見習いたい。
 ところで、逆に大きな字余りや字足らずによって定型では出せない効果を狙った「破調」と呼ばれる短歌もある。斎藤茂吉に次のような歌がある。いつかこのような破調の歌にも挑戦してみたい。
 
  夜をこめて鴉いまだも啼かざるに
     暗黑に鰥鰥くわんくわんとして國をおもふ 茂吉
日本浪漫歌壇 春 弥生 令和四年三月十九日収録
       記録と論評 日本浪漫学会 河内裕二
 
 春の訪れを感じられる三月十九日、午後一時半より三浦勤労市民センターで三浦短歌会と日本浪漫学会の合同歌会が開催された。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、櫻井艶子、嶋田弘子、清水和子、羽床員子の七氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長、岩間滿美子氏と河内裕二。三浦短歌会の玉榮良江氏も詠草を寄せられた。
 
  早咲きの桜まつりの取り止めも
     人出は多く桜満開 光枝
 
 作者は嘉山光枝さん。河津桜のまつりが新型コロナウイルスの影響で昨年に続き今年も中止された。まつりが中止になっても桜は咲き、桜が咲けば人は集まる。嘉山さんが行かれたときにも人はたくさんいて、人をかき分けるようにして歩かれたそうである。
 
  高齢の姉の誘いで梅見の会
     思い出話し亡き兄若し 由良子
 
 加藤由良子さんの作。お姉様のお宅の庭に亡くなったお兄様が若いときに植えた梅の木があり、その花を見ながらお兄様の思い出話をされた時の歌。加藤さんは三十一文字に自分の思いを込めるのは難しいと仰ったが、下句から思いは十分伝わってくる。
  北条のたけ女子おなごを想はせて
     梅花流るる鎌倉の春 成秋
 
 作者は濱野成秋会長。この歌の「春」は時期を表すのではなく「春景色」という意味である。鎌倉は囲い女の街で、春になると男は若い女を求めて別宅に行き、妻は鬼になって怒る。濱野会長は江戸小唄「春風がそよそよと」に言及された。
 
  春風がそよそよと 福は内へと この宿へ
  鬼は外へと 梅が香 添ゆる
  雨か 雪か ままよ ままよ
  今夜も明日の晩も 居続けしょ 生姜酒
 
 この小唄のような情景を思い浮かべて詠まれた歌だとすれば、男は頼朝で女は愛妾の亀の前、鬼は政子である。政子は怒って亀の前を襲撃させる事件まで起こしている。この歌はただ春を詠んだのではなく、鎌倉の歴史を詠んだ一首である。
 
  枕辺に『三浦うた紀行』最期まで
     置きて逝きしと身内に聞けり 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。笹本朝子さんへの悼歌である。笹本さんは三浦短歌会に初期から参加されていた方で、昨年亡くなられた。三浦短歌会は昭和二二年に始まり七十五年の歴史がある。『三浦うた紀行』は三宅さんの歌集である。
  「いいことない?」「何もないのがいいことよ!」
     青日の談斯く沁みる今 弘子
  
 嶋田弘子さんの作品。「青日」とは若い日のことで、若い時に退屈して交わした何気ない会話が、今では本当にその通りだと思えるという歌である。「斯く沁みる」の「斯く」は「本当にこのように」という実感を表現されたとのこと。
 
  みちのくの海傾かたぶきてたおれける
     ひとのもとにも春は来るらむ 裕二
 
 筆者の作。二〇一一年三月十一日に起こった東日本大震災の犠牲者への鎮魂の歌。「海傾きて」とは津波のことで、鴨長明の『方丈記』に出てくる言葉である。
  
  春の野に若草色や心浮き
     何とは当ての無き身なれども 滿美子
 
 作者は岩間滿美子さん。窓の外を見ると、きれいな若草色の春蘭が生えていて、それに心を奪われロマンチックな気持ちになった。春だからといって何かあるわけではないが、それでも心は浮き立つもので、そのようなお気持ちを詠まれたとのこと。
  亡き夫と約束したる「湯楽ゆらの里」
     親族うからと連れたち朝風呂に入る 員子
 
 羽床員子さんの歌。「湯楽の里」は横須賀にある温泉施設で、以前ご主人とお仕事でその前を通られたときに、一度入ってみたいと話していたそうである。その温泉に行かれたことを歌に詠まれた。
 
  戻らずにじっと海見る鳥一羽
     ああ、日が落ちる一緒に見ましょう 和子
 
 作者は清水和子さん。清水さんはお部屋から屋根に止まっている鳥をよくご覧になるが、たくさんの鳥がみな山側ではなく海側を見て止まっていて、さらに夕暮れになると必ず一羽だけが残っていることが不思議だそうである。鳥を見るのを日課のようにしていると鳥が友達のように思えてこの歌が生まれたとのこと。
 
  一ツずつ重荷下しつ黄昏の
     時を歩みて父母の影みゆ 艶子
 
 作者は櫻井艶子さん。ご主人を亡くされて四年目。本当なら主人の顔を思い浮かべなければいけないでしょうけど、と櫻井さんは笑いながら仰った。なぜか夫よりも両親のことを思うことがある。櫻井さんだけでなく、連れ合いを亡くされた皆様も同様だそうである。「血は水よりも濃し」だろうか。
  外出のままにならない家猫は
     くしゃみ激しき抱きて歩めば 良江
 
 作者は本日欠席の玉榮良江さん。家の中で飼っている猫を外に連れて行ったら、くしゃみをしたということでしょうか。くしゃみが激しいとなれば、犬や猫にも花粉症はあるようなので、花粉症かもしれない。
 
 今回の歌会では、嶋田さんや清水さんの歌のような会話表現を用いた手法について考えさせられた。どちらの歌も口語の持ち味が活かされている。筆者の場合、短歌は文語の方がしっくりくる。初めて俵万智の『サラダ記念日』の非常に口語的な歌を読んだ時には違和感を持った。現在ではさらに三十一文字すべてが会話になっているような歌も珍しくない。そのような極端に口語的な歌にはやはり抵抗がある。今回お二人の歌で、会話表現によって臨場感や情感が生まれ、作品世界が広がることを教えていただいた。口語でも使い方によっては厚みがでる。自分も挑戦してみたい気持ちになった。