近作詠草7
近作詠草7 令和元年六月二十六日 (No.1932) 濱野成秋 今や日記とは後世に語り掛けるデバイスか 日記もて書き遺すべく一隅の デスク密しづかに吾が死ぬるを待つ 成秋 想 […]
近作詠草7 令和元年六月二十六日 (No.1932) 濱野成秋 今や日記とは後世に語り掛けるデバイスか 日記もて書き遺すべく一隅の デスク密しづかに吾が死ぬるを待つ 成秋 想 […]
近作詠草6 令和元年六月十九日 (No.1931) 濱野成秋 父が着物姿で裏の畑。幼児の吾は 畑打つは父の着物ぞバケツ持て 水やる稚児は吾の筈なる 空襲の焼け跡にゐた父が芋畑を作 […]
近作詠草5 令和元年六月十七日 (No.1930) 濱野成秋 春の砂塵に 砂あはれ雨粒ともに指の腹 黄なるを厭はめ同胞はらからの身で 暗春の嵐に戸惑ひて 春草の俄かに降りくる天あ […]
近作詠草 濱野成秋 令和元年六月五日 (No.1601) 己こそと思へば何やら滑稽に走る 他人ひとはいさ吾は勝手と言ひ聞かせ 宵の飯碗たひらげにける 成秋 暗い食堂に無心なる早乙女に出逢ひて […]
近作詠草3 令和元年六月一日 (No.1928) 濱野成秋 早春に生きがひを求められ まどろみの長き褥しとねの朝ぼらけ 斑はだら雪視ゆ現うつつもの憂し 成秋 厳寒に迷ひ出でて […]
(考現学エッセイ) 男の「浪漫」と「挫折」 日英にみる二人のマクベス 福田京一 はじめに 卒業式と聞けば思い出すのは昭和29年(1954年)の春、小学校の講堂で唱った「仰げば尊し」(1884年)である。 この年、日本は朝 […]
人間は果たして賢い動物だろうか 慶應義塾大学名誉教授 本学会最高顧問 鈴木孝夫 私たち人間という動物がいま、学術上ホモ・サピエンスという学名でよばれていることは多くの人が知っていると思います。ホモとはラテン […]
令和二年三月十八日 東京府中 河内裕二 令和二年三月、山形の庄内に暮らす親友を訪ねた。その際に遊佐の吹 浦や鶴岡の羽黒山を巡る。吹浦西浜海岸の岩礁には二十二体の磨崖仏 があり、説明によれば、地元海善寺住 […]
令和二年三月十四日掲載(No.1926) 醍醐寺三宝院住職 斎藤明道 弟子 濱野成秋詞書 明道翁は我が人生の師とも言えるお方様。ご自分の悩みを隠さず 述べるをためらわず、生きる切なさを歌に託され […]
令和二年二月二十六日掲載(No.1926) 濱野成秋 終戦の想い出(これはホームページ冒頭の一首のプロトタイプ) 戦いくさ敗れ父母哭き稚児の稲田里いま他人よそびとの我勝ちに住み 秋となり 稲束を […]