「内面生活」を描く浪漫文学 
 
      日本浪漫学会会長 濱野成秋
 
1.リアリズム文芸には限界がある
 
 人間は「社会人」ばかりを演じているわけではない。
 家に帰れば親子や夫婦関係が待っている。若い青春の悩みや壮年の不安、老齢期の深刻な問題は、社会人としては、扱うに相応しくはない。心の病は奥深く、係累に広がり、拭い去れない過去の問題も多々頭を擡げる。それを社会問題として片づけるわけには行かないのは当然である。
 リアリズム文学の発生は何を機縁とし、何を人間に与えたか。
 遡れば一九世紀。産業革命の影響で世界中のライフスタイルが変容した。成長発展には価値観の変容が伴い、宗教心が薄れて即物的な生活で経済生活が登場。並行して世紀末から極端な国家主義が台頭して世界大戦が二度も起こった。
 戦争や科学文明の大発展で人間社会は掻き乱され、それを描くのがリアリズム文学だろうという風潮が世界中に興隆し、自然主義が幅を利かせて浪漫主義は影を潜めた。作家も詩人もリアリズム文学で混濁し続け、労働問題が基盤になって、抵抗文学や社会主義文学が人心を誘導し、革命を唱える文学まで台頭した。
 だが人間社会の汚濁や不正を描くばかりで終始していた文学は世情の推移と共に徐々に滅亡し、やがて文学史の一時期として括られるに至る。
 同時期、時代的には一九二〇年代後半から画像映像の時代となり、画像やデータ表示で事足りる歴史記録のような文学が現出する。アメリカ作家ドス・パソスのUSA三部作にはニューズリールや記録文学が取り込まれて、リアリズム文学作品は人間の内奥に踏み込むより、外界の変貌を優先描写させる。
 その結果、政治的主義主張や巨大な組織で動く宗教が人間の内面を支配し始め、世の中は益々形骸化して作品から人間味が失せていく。人間は物欲や変貌の中で翻弄させられる存在となった。リアリズム文学が人間の内面に巣くい去来する悲哀、情熱、憤怒、慚愧な思いなどを満足のゆくまで解き明かせたとは言い難い。
2.浪漫文学では若さだけが対象か
 
 浪漫といえば、ロマンティックな想念を連想する。
 若くて、恋をして、愛情深くて。
 世の中の矛盾撞着には目もくれず、愛する人に会うことばかりを願っている。
 なるほど、そんな世代もあるだろうし、恋に破れた切ない思いもあるだろう。
 だが、人間、思春期は長くは続かない。学生時代を終えれば次に来るのは収入と安定的な自立の時代を希求する世代となる。初めて実力のなさを思い知る時期でもある。試行錯誤から体得する心得は幾つもあって、日増しに上手に暮らせるようにはなるが、周りが結婚し始めると、自分も身を固めたくなる。安定した経済を得ることで保障される安定感を得たい。
 その希求が達成できたとしても、病気や夫や妻との齟齬もあり、義理の関係も複雑になって、結婚生活も、時には意想外に揺らぎ果て、遂には離婚や別居生活へといたるなど、悲しい別れが訪れる。
 いわゆる中年時代の哀楽に立たされるわけである。
 会社の倒産で家庭生活が瓦解することもある。
 浪漫文学はその頃から真価を発揮する。
 母子、父子、老父母、事故や病気、などなど綯い交ぜで、かてて加えて転職転住、入院、ハウスローンの不払い等々、誰にも吐露できない懊悩が日日の生活に及んでくる。感情的な縺れも複雑にからんで、投げ出したい心境にまで至ることも。
 これを書きとめるのが文学の神髄であるが、浪漫文学もその一端を担っていると筆者は考える。
 すなわち、世代により、環境により、浪漫文学が対面する問題も色合いを異にするのである。
 また若い頃には当然であった健康状態も長年の疲労の蓄積で失われると、この先、妻子や老父母をどう養うか、長女の結婚、長男の家を継がせる話など、自分の判断通りにはやり難い問題まで、抱え込むことになる。内面は穏やかに波打つ状態でも、徐々に迫る瓦解や決別が脳裏を掠めると、不幸という二文字に苦しむこともしばしばとなる。
 浪漫文学では多重多彩な懊悩を書き留めることになる。
 
3.自然主義は立派な浪漫を表出していた
 
 浪漫に取って代わった自然主義はリアリズムの奔りと見做されたが、そこには多々浪漫調の要素を維持していた。
 例えばドライサーの『シスター・キャリー』(1900)であるが、この、所帯持ちの男と田舎出のキャリーとの恋はやがて遁走状態となり、遂には男が浮浪者となる。キャリーだけが幸せを得る。原作ではキャリーの身勝手な振る舞いを批判的に描いているが、映像作品では両者が相愛の状態のまま、成功者と落ちぶれ者とに分かれ、その悲哀をたっぷり描いて観衆の心に迫る。
 日本文学では山本有三の『波』{1923}がそうである。この作品は人間を運命の操るままに描いている。外的な事情、例えば偶然遭った先生と生徒、偶然生じた出産と外部の男、遺伝、離合集散など、人生を変貌させる要素は多々外部にある。これは自然主義の典型的姿であるが、登場人物たちの内奥は実に奥深く、人生とはかくありなんと思える要素が多い。
 
4.浪漫文学は生と性と人間を描く
 
 浪漫といえば、ロマンティックな想念を連想する。
 だが、若くなくてよい。恋をしていなくともよい。
 ただ愛や情感を豊かに、情深く、信頼関係をもって接する人間関係を描きたい。
 とかく当節の世は不信感に満ちている。
 矛盾撞着以前の問題として、不信感をもって相手を見る癖があれば、厚意であっても疑念を持つ。こんな人間関係では、自らも猜疑心の虜になり、自分の為に尽くしてくれても素直にうけとめられない。年齢を経ると、とかく猜疑心だらけとなって、どんな厚意も詐欺的行為に見えてくる。すると、もはや信じるに値する人はいなくなり、気がつくと孤独に陥る。孤独は自分で作る環境である。
 
 浪漫文学は個人に忍び寄る孤独感を除去する暖か味をもつ。
 心に浪漫があれば幸せなり。
 かつて、筆者の世界にはこんな麗しき女性あり。
 この女性は生き永らえれば御年桃歳か。かぼそき指の腹で筆者の心の臓に触れるがごときジェスチャーで、こう詠んだ、
 
  卆寿なれど我が血脈は確かなり
    触れて詩を書く 浄土の春まで 秀
 
 先にも言ったが、醍醐寺の学頭斎藤明道師は我が短歌の師であるが、この、秀歌の主もまた、我が心の師にして、終生忘れ難き存在なり。桜花の下、改めて浪漫の昔日に想いを馳せ、合掌する。
 
          令和六年四月五日        成秋
浪漫絵画の女性像     2024.4.8
 
 現代洋画界で女性のエロティシズムを描く第一人者は誰かといえば、等級分けが必要となる。浮世絵時代においても同じである。そこに醸し出されたエロティシズムは様々で、花魁調では花柳界の玄人世界が目立ってしまう。
 
 ところが今日、若さと美貌の極致となれば、間口は狭まる。かつ気品があり、女性の毒気も感じさせる浪漫調、と注文をつければ、今回紹介する原恭子画伯の作が一番であろう。
 
 筆者は原先生の上品なご性格に常日頃から敬服しているが、ひとたび絵筆を持たせると、かくもしどけない表情の中に、おどろおどろしい毒蛇のような恐ろしさを秘める。今回は皆、目つきや唇の表情を視て頂きたくてアップで掲載したが、女性を取り巻く孔雀の羽根や牙を剥き出す毒蛇の形相にも注目あれと指摘せずにはおれない。作者は気品ある女性。だから筆者はよけい奥に秘めた女性の怖さを感じる。生き物の性の浪漫、その神髄ここに極まれり。傑物である。
古代遺跡にみる浪漫     2024.4.8
 
衣笠洋画研究所主宰の画家田所一紘氏は今更紹介するまでもない著名な洋画作家であるが、近年インド、ネパール、タイの寺院を実地踏査してその重厚な彫刻を刻み込んだかと思えるほど濃厚な筆致で描き出す。そこに歴史に伴う浪漫が浮き彫りにされ、その目で日本の法隆寺を描くことで、彩色の美を余すところなく描出、悠久の美とはかくありなんの感あり。田所画伯と濱野会長とは長年の友であり、四点の掲載は無論、田所氏の快諾を得た上でのことである。
花びら  高鳥奈緒   2024.3.28
 
桜吹雪の目黒川
今年も賑わうけれど
東横線の駅からひとり降りて
川沿いを人混みに紛れ歩く私
美しい満開の桜だけど
私の心は目黒川に落ちた
一枚の花びら。
 
流されて 流されて 
ゆらゆらと何処までも
後ろ姿に悲しみの影をひいて
ひとり歩く とぼとぼと
 
 
桜吹雪舞う目黒川
花びら風に舞って私の髪に絡むの
淡い色の薄桃の優しい色は
まるで貴方の言葉みたいね
耳に残って今も消えないわ
嘘ならいらない、もういらないのに
幻の貴方の言葉が聞こえてくるわ
愛している、愛している奈緒と・・・
 
桜吹雪舞う目黒川沿い
後ろ姿に寂しさの影をひく女が
ひとり歩く とぼとぼと
うめの香り  高鳥奈緒   2024.1.17
 
ほのかなうめの香りは春の訪れ
冬山に彩りを添えて
柔らかな暖かい日差しの中
貴方と散歩したこの山道
小さな小梅は青空の下に映えて
貴方を求めて咲き乱れている私みたい
白、赤、桃色の小梅・・・どの色もいいね
貴方は選べないみたい気の多い人みたいだった
私は、貴方にとって何色の花だったの
あの頃のように仲良く歩きたい
今年のうめの花は誰と見ているの
きっと私とは違うタイプの色の小梅ね
醜いやきもちを焼かせる貴方を許せない
うめ香る季節には悲しい涙の雨が降る